「のう姫昌、わしはちょっと北へ行ってこようと思う」
「北……? 北伯の所へ? これから朝歌を攻めようという時にですか?」
「……そういう時だからこそ、行かねばならんのだ!」










第37話
 ―変わり目の、かわりめ










がいつものように姫昌の様子を診ていたところ、ふらりとやってきた太公望。
寝台から起きた姫昌に付き添い、は今、姫昌・周公旦・太公望の軍議を静かに見守っている。


「北伯公の祟候虎は、妲己にコビを売る小悪党だ。それ故、わしら西岐が朝歌に向かっておる時、後ろから攻撃される恐れがある」
「なるほど……挟み撃ちにあわないように、北伯公を説得に行くというわけか」
「うむ。北には武成王とわしが行く。それと、兵士を百人ほど借りるぞ」


その表情とは裏腹に、穏やかではない言葉を告げる太公望。
周公旦とは即座に反応する。


「兵を!? 百人とはいえ、兵を連れて行っては北伯を刺激するだけでは?」
「望ちゃんっ、行くのって望ちゃんと飛虎さんだけ?」
「いや! 太公望はむやみに兵を動かさない――きっと何か考えがあるのだ。そういう人物と見たから、私は太公望を軍師にした。それと……」


若い二人の疑問に答えたのは、太公望ではなく姫昌。
一旦切った言葉の続きがあるとみて、3人の視線は姫昌に集中する。


「……太公望、私は大丈夫だから、も連れて行ったほうがいい」
「え、私!?」
「何っ!? がいなくなったら、おぬしの具合はますます悪くなるであろう!?」
「薬は作り置きを貰っているから問題は無い。も連れて行きなさい」
「で、でも……」


思わぬ言葉に驚くと太公望。
しかし、姫昌は反論は承知と言わんばかりに、固い決意の篭った瞳で二人を見据える。
数秒の沈黙の後、太公望が溜息と共に口を開いた。


「それは、前に言っておった……に出ている『相』とやらに関係があるのか?」
「……流れを変えようとする時、の存在は大きな力になるだろう」


具体的な情報の提示は無くとも、妙な説得力がある西伯公・姫昌の言葉。
加えて、姫昌の瞳に宿る光の強さもあって、太公望もとうとう折れた。


「……分かった。準備が整い次第出発する。、おぬしも仕度をしておくのだぞ」
「う、うん……」


は未だ、姫昌の言葉の意味を理解しかねていた。












「……ってことなんだけど……どう思う? 宛ちゃんは」
「ふむ……」


――時間は少し進んで、数週間後。

は太公望や武成王、姫発らと共に、百人ほどの兵を連れ、北の都・崇城に向かっていた。
遥か前方に目的の場所が小さく見え始めた頃、は仙人界から呼び寄せた宛雛に、今までの経緯を話し終えていた。


「私、結局何すればいいのかなぁ……姫昌さんが言うような『大きな力』なんて、なんにも無いのに……」


煽鉾華でゆっくりと空を行きながら、は横を悠々と飛ぶ宛雛に問う。
難しい顔をして考え込むを一瞥すると、宛雛は視線を正面に戻して事も無げに答えた。


「主様は主様に出来る事をすればいい。普段通りに。おそらく、それが良い結果を生むのだろう」
「そーかなぁ……」
「そうだ。それに、今回の事は『何かする為』だとは決まってはあるまい」
「……どういうこと?」
「『流れ』を“変える”為ではなく、“見せる”為という場合もあるだろう?」
「見せる、ため……かぁ……。うーん……」
「……何だ主様、今回はやけに弱気だな」
「んー……」


――姫昌の言葉の意味も気になるが、悪化の一途を辿る体調も気掛かりだ。
今、自分は何をすべきなのか、何が出来るのか。
姫昌本人が言ったからとはいえ、太公望に着いて来て、本当に良かったのか――。

の中に渦巻く不安。
しかし彼女が、それを口にするのを自分自身に許したのは、仙人界にいる育ての親たちと、宛雛の前だけ。
……本人に、その自覚は無いようだが。


「……相変わらずだな」


宛雛は自分自身に厳しすぎる若い主人を想い、気取られない程度に嘆息する。
当のはその溜息には気付かずに、思考を続けている。


『泣いてる暇なんて無い』

――彼女の意識を占めるのは、彼女の言葉か、別の誰かの言葉か。

『弱音は吐かない』

過去の為の言葉か、未来の為の言葉か――。

『強くならなきゃ』


「……っ、」
「どうした?」
「……んーん、何でもない……まぁでも、来ちゃったからには精一杯やるしかないよね」


は顔を上げ、だいぶ近付いてきた目的地・崇城を真っ直ぐ見据える。
自分に喝を入れ直すかのように頬を両手で軽く叩くと、煽鉾華をしっかりと握り直した。


「ありがと宛ちゃん、ちょっとスッキリした。私は私に出来る事を、普段通りにやってみる! ……さてっ、そろそろ下降りるよ?」
「……御意」


主人が普段通りに微笑んでいるのを見て、宛雛は再び嘆息した。








「あれが、北の都・崇城である」


と宛雛が地上組に合流して間もなく、一行は崇城の城下に辿りついた。
目の前にそびえ立つ城を指差し、太公望はさらに言葉を続ける。


「――だが、我々の目的は、城攻めなどという野暮ったい事ではない! 我々の崇高なる目的はただ一つ……」
「ここでキャンプをするっ!!!」
「へぇー、面白そー!」


なぜ? と呟く武成王以外は、も含めて大きな歓声をあげる。
すぐに手際良くテント作りを始めた兵士達の間を縫って、は太公望に近付く。

「ねぇ望ちゃん、崇城の崇って、崇黒虎の崇と一緒だよね? 崑崙の道士の」
「そうだが……おぬし、知り合いか?」
「まぁ一応、お互い顔と名前は知ってるよ、多分。でもそれより、霊獣の……って、望……ちゃん、何……やってんの……?」


不意に違和感を感じたは、何気なく太公望の手元を見て思わず言葉を止める。
……彼の手元でぐつぐつと煮込まれている『何か』が、物凄い異臭を放っている。


「うっわぁ、何コレ……」
「酷い匂いだな……どうにかならんのか? 太公望……」
「むう? 宛雛、やはりおぬしは反応せぬのか。おぬしも一応鳥であろうに」
「反応? ……あぁ、なるほど……しかし、我はむしろ……御免被りたい……」
「え、宛ちゃん、だいじょぶ……?」


太公望を呆れ顔で見つめると宛雛。
徐々に広がる悪臭に兵士達も気付き出し、あたりはざわめきに包まれる。
の肩に止まる宛雛など、羽で鼻を抑える始末。
百人と一羽分の苦情に、太公望もしぶしぶその物体をビニール袋にしまった。

そんな時、今まで静かに成り行きを見守っていた武成王が、太公望に声を掛けた。


「なあ、太公望どの」
「なんだ武成王、おぬしまでブーブー言うのか?」
「いや……何か変だと思ってな……。空から気配を感じる……」
「……来るね」


上を見上げる武成王の横で、も空を仰いでいる。
「音が聞こえる」という武吉の言葉もあり、その場にいる全員の注意は一気に上空へと向けられる。


「……ねー宛ちゃん、あの子と宛ちゃんってさ、なんていうか、その……どっちが偉いの?」
「うむ、奴は全ての鳥のボスだからな、我よりも位は高いのだろうが……奴や他の鳥達は、我らの事をあくまで対等に見ているようだ」
「そーなんだ……。じゃ、今来てる方は頼むよ。私は本人に挨拶してくるから。久しぶりに」


しんと静まり返る陣営で、呑気な会話を交わす声がふたつ。
その会話がひと段落したところで、『それ』は陣営全体に衝撃をもたらした。


「……とっ…………鳥じゃ――っ!!」
「お願い宛ちゃんっ!」
「御意」


一直線に飛んでくる黒の大群に向かって、宛雛はゆったりと、たった一羽で向かって行く。
その大群が宛雛を認識するより早く、一人の男が一行のもとに近づいてきた。


「フフ……どうだい、俺の霊獣の力は? この霊獣『神鷹』は全ての鳥のボスなんだ。こいつの命令なら、鳥たちはなんでもするよ!!」
「……崇黒虎!」


振り返ったと太公望の前には、大きな鳥を連れた一人の道士・崇黒虎。
は予想通りのその姿を確認すると、ニイッ、と口端を上げて彼の背後を指差す。


「……それはどーかな? 後ろ、見てみなよ」
「……?」


の不敵な言葉に、崇黒虎は不審げな表情を浮かべて振り返る。
――彼が振り返った空は、どこまでも青かった。


「と、鳥たちがいない……!?」


驚く崇黒虎をよそに、は崇黒虎が連れている霊獣・神鷹に近付く。
無防備な接近に神鷹は驚くが、向かってくるの姿を認めると、ふわりと崇黒虎の腕を離れた。


「久しぶりー、神鷹っ!!」
「……わ、あんさん、もしかせんでもか!? うっわー、久しぶりだわいな!! デカくなりおって!!」
「きゃー、相変わらずまんまるー! 可愛いー!!」
「可愛いゆうな!」


ぎゅうっと遠慮なく抱きしめられて、神鷹はの腕の中で羽根をばたつかせるが、存外満更でもない様子を見せる。
しかし、崇黒虎と太公望の会話も気にせず、鼻を突いたり頬を伸ばしたりしてくるに、神鷹は気を取り直して嘆息した。


「……あんさん、本当に敵なんか? 相変わらず緊張感の欠片も無いやっちゃな……」
「うーん、別に敵って訳でも無いと思うんだけどなぁ」
「そうは言ってもな……」


はぁぁ、と呆れ声を出す神鷹は、すっかりのペースに嵌っている。
しかし、さすがの彼女も、彼の主人の声には敵わなかった。


「神鷹!! そろそろいー加減戻って来い!」
「……おっ! 悪いな!」
「あ!」


と神鷹が戯れている間に、太公望と崇黒虎はいつの間にか臨戦態勢に。
直線に太公望に向かって飛び立った神鷹を見て、は少し肩を落とした。


「……あー、やっぱ駄目かぁ。ちょっとは引き離しておけるかもって思ったんだけどな」


太公望の打神鞭を奪い、空高く舞い上がる神鷹を眺めながら、は煽鉾華を発動させた。




<第37話・終>

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