「天化〜、てーんかー? ……あ、いたいた」
「おっ、! もう終わったんさ?」
「今日の分はね。天化も?」
「ああ。今日は早かったんさよ」


象レースの騒ぎも漸く収まってきた今日この頃。
失踪していた太公望と姫発も戻って来て、来たるべき大きな戦いへの備えを着々と進めていた。

楊ゼンは象レースの後仙人界へ戻り、ナタクも未だ空の上。
人間界に残っているは、薬を調合したり、執務を行なったり、兵士の訓練を見たりと、それなりに忙しい日々を過ごしている。
――そして、今まで以上に床に伏せることの多くなった姫昌の様子を診るのも、すっかりの日課となっていた。










第36話
 ―花開く空の下










「で、姫昌さんの様子は?」
「……ゆっくりだけど、日に日に悪化してる……。私が出来る事っていったら、少しでも栄養摂らせて悪化する速さを遅めるだけね……」
「そっ、か……」


こちらも日常茶飯事になったはずの、このやりとり。
その整った眉を顰め、目を伏せて寂しげに答えるに、天化はいつも掛ける言葉が見つからない。

天化にとって、は何年も同じ洞府で一緒に修行してきた姉弟子。
彼の認識する所のは、どんな時でも明るく前向きで、弱音など一切吐かない強い人。落ち込んでいる所など、見た記憶は無いに等しい。
そののこの様子に、天化は姫昌の体調の悪さを改めて痛感した。

なんとか一言返すなり黙ってしまった天化の思惑を汲み取ったは、言葉の調子を明るく変えて彼に向き直る。


「……ね、兵士の訓練の方は?」
「んー、だいぶマシになったさよ。あれなら戦場に出ても5分で撃沈、って事は無ぇさね」
「あは、そっか、良かった。んじゃあ、今度は私たちの稽古ね!」


既にその足は稽古場に向かっている二人。多忙の中にも自分達の修行も忘れてはおらず、毎日少しずつでも時間をとって稽古を続けている。


「楊ゼンとかナタクも仙人界でやってるだろうし……。こっちに残ってるからって置いてかれないようにしなきゃ!」
「まだまだ敵は沢山来るだろうかんね」
「そーね……もっと強くなんなきゃ……」


そう呟くの横顔を、天化は静かに見つめる。

――追い越したかと思えば、その足はすぐに自分の一歩前に出ていて。
また追いついたと思えば、その瞳にはもっと先の光景が映っている。
剣術は五分でも、総合力では未だ超えられない壁。
同い年といっても、修行年数の違いはいつまでたっても変わらない。
しかし、自分がに敵わないのは、才能でも努力でも、時間のせいでもなく、もっと何か別の――。


「……
「ん?」


不意に立ち止まった天化に名前を呼ばれ、がくるりと振り返る。
ふわりと風に乗った柔らかい髪が彼女の視界を遮るが、天化はそこから垣間見える藍色の双眸を真っ直ぐ見つめ、確めるように、噛み締めるように、ゆっくりと口を開く。


「あーたは……」
「……?」


かち合った視線。続かない言葉。
小首を傾げたと、一歩踏み出す天化。
普段と様子の違う弟弟子に、の眉間に微かな皺が寄った、ちょうどその時。


「……っちゃぁぁぁぁんっ!!!」
「!!」
「ひゃぁっ!!」


突如彼等の間に割って入る影。予想だにしない襲撃に、の視界は一気にゼロに。
咄嗟の事に大きく傾いた彼女の線の細い背中は、がっしりとした腕によって支えられた。


「……だいじょぶさ? 
「あ、ありがと天化……もー発っちゃんっ!! 今回は、さすがに、びっくりした……」
「へへっ、悪い悪い! ちゃんが見えたもんだから、つい、な?」
「つい、って……油断してた私も悪いんだけどさぁ……」


悪びれることなく、満面の笑みを浮かべつつから離れる見知った襲撃者……武王こと姫発に、と天化は同時に嘆息する。
己の修行不足を反省するの頭上で天化と姫発の視線が一瞬かち合うが、二人が言葉を交わす前に、が弾かれたように天化を見上げた。


「あ、そういえば天化、何言いかけてたの?」
「……やっぱ、今日はいーさ」
「そう……?」


は眼を合わせない天化に少し疑問を感じたが、深入りしても無駄だと判断したのか、反対側の姫発を見上げる。


「……で、発っちゃんはどーしたの?」
「や、暇だったし、ちゃんがこっちに向かうのが見えたからな! どこ行くんだ?」
「稽古場で修行……ってか、手合わせかな? 天化とね」


どことなく勝気な光を瞳に宿し、口角を上げて楽しそうに向かう方向を指差す
そんな彼女の様子に興味を抱いたのか、姫発は顎に手をやり、と同じ表情を浮かべた。


「へぇー……俺も着いてってもいいか? 邪魔はしねぇからさ」
「いーよ。暇潰しくらいにはなると思うし」
「……王サマ、怪我しても知んねーさよ」
「だーかーら、邪魔はしねぇし離れて見てるって!」 


呆れ気味に言う天化の様子など意にも介さず、姫発は二人を先導する勢いで歩き出す。


「それにしてもちゃん、相手は天化なんだろ? こう言っちゃなんだけど……大丈夫なのか?」
「心配無用っ! これでもほぼ互角なんだから。ね?」
「ああ……今の所、654戦でお互い327勝さね。まーたドローさ」
「よ、よく覚えてんな……」


今から手合わせをするとは思えない、和やかな雰囲気のまま稽古場に到着した三人。
と天化はその中央に向かい合って立ち、姫発は少し離れた所に座って二人の様子を見守る。
その二人の手の中では、それぞれ鉾型煽鉾華と莫邪の宝剣が出番を待っている。
場の空気はまだ、変わらず穏やかなまま。


「じゃ、始めますか!」
「おぅ、行くさよ!」


――天化が地を蹴った瞬間、空気がぴんと張り詰めた。








「……凄ぇな、ちゃん……天化も。速すぎてよく分かんねぇけど、確かに……舞踊みてぇだ」


――の実力は、城内の噂で聞いていた。
天化の方はあの武成王の息子である上、見た目からでもその実力は予想が付く。
それでも、二人の動きは姫発の想像以上だった。
張り詰める適度な緊張感は紛れも無く本物だが、今彼の目の前で繰り広げられているのは、手合わせと言うより剣舞に近いものがある。


、今日は双輪雪外してねぇんさね! そんなハンデ付けてていーんかい?」


この手合わせに一切使わないにしても、宝貝というのは持っているだけで力を吸い取るもの。
互いの宝貝を突き合わせながら、天化がの左腕にちらっと目をやり、口角を上げる。


「この方がより実戦に近いでしょっ! 他人の心配なんてしてると、足元掬われるわよっ!!」
「!!」


は突き合わせていた煽鉾華を引っこめ、手首のスナップを効かせてくるりと半回転。
標的を天化の足元に変えた煽鉾華の柄先は、文字通りに彼の足を掬う。
しかし、の予想外の攻撃は、天化の体勢の崩れ方までも、想定外の方向に導いた。


「……えっ!?」
「……わっ、、危ねぇさ!!」

「なっ……!!!」


の攻撃が決まったかと思えば、ぐらりと体勢を崩した天化の莫邪の宝剣が、の眼前に。
離れて見守っていた姫発は、思わぬ光景に咄嗟に両目をきつく瞑る。

――しかし、次の瞬間。
想像していた鈍い音とは掛け離れた金属音を耳にし、彼はゆっくりと瞼を上げる。


「……あ、あれ……?」
「な、何さ、これは……」


姫発の目に入ったのは、尻餅をつくと、不安定な体勢のままその動きを止めた天化。
彼の莫邪の宝剣は、が咄嗟に顔を庇った、その細い左腕だけで受け止められていた。


「壁が……できてる……」
「え、双輪雪、なんさよね……?」
「それに……」


の左手に嵌められた、一対の腕輪型宝貝・双輪雪。
それを核にした円盤状の防御壁が、持ち主を莫邪の攻撃から守っていた。
加えて、の胸元の青い宝石は、双輪雪と共鳴するように、同じ光を放っている。
偶然発見した知らない使用法に、二人は暫し呆然と防御壁を見つめる。


「……あっ、隙ありっ!!」
「っ!?」


――先に我に返るあたり、流石姉弟子といったところか。
は防御壁で莫邪を払いのけ、素早く体勢を立て直すと、一瞬で天化の後ろを取る。
反応した天化が動くよりも早く、煽鉾華を彼の首筋に当てると、は至極爽やかに笑った。


「……はい、私の勝ちー。油断したわね、天化!」
「なっ!! ……ま、参ったさ……ちくしょー……」
「おー! ちゃん凄ぇ!!」
「ふふ、ありがとー!」


決した勝敗を潔く認める天化に、は悪戯な笑顔で煽鉾華を引く。
途端に砕けた張り詰めた空気に、姫発はほっと一息。すぐに二人の元へ駆け寄る。


「ホント凄ぇな! どうやって受け止めたんだ?」
「偶然できたの……。こんな使い方あるなんて知らなかった……」


肩の力を抜いて息を付き、は双輪雪とネックレスをまじまじと見比べる。
一瞬、というよりも短い瞬間の、ほんの僅かに残る感覚を何とか思い出し、再び力を籠めてみる。


「あ……できた……」
「「へぇ……」」
「もしかして……」


先ほどよりはだいぶ時間が掛かったものの、の腕の上には、透き通った円盤状の防御壁が浮かび上がる。
ネックレスの青い石は胸元で青白い光を放ち、同じタイミングで双輪雪も鼓動するような淡い光を生む。
自身の宝貝が放つ幻想的な光に、はぼうっと見とれつつ独りごちる。


「このネックレスも、宝貝の宝石と同じ、なんだ……。そっか、それに……双輪雪って、吸い取った霊気を使うって宝貝だもんね……」


宝玉のような藍色の双眸と同じ高さに持ち上げられ、ゆるく揺れる青い石。
しばらく無言でそれを見つめていたは、右の掌の中に、それをきゅっと握り締めた。


「まだまだ他にも使い道ありそう! 双輪雪も、ネックレスの方も!!」


勢い良く立ち上がったの瞳には、好奇心の色がきらきらと瞬く。
花開くような満面の笑みを浮かべて振り返った彼女を、姫発と天化は言葉を返せぬままに見つめていた。




<第36話・終>

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