「太公望……次男の姫発に会っていただきたい!」
「姫発?」
「万が一の時、父上の跡継ぎは姫発小兄さま……小兄さまの器が父上程かどうか、あなたに量っていただきたいのです」
「どんなやつなのだ?」
「どうにも捕え所のない人で、私にはよく分かりません……たぶん、繁華街にいますよ」










第34話
 ―豊邑の青年









「姫昌さーん、こんに……あ、また寝てる」


西岐の城に厄介になるようになってから、すっかり日課となったの姫昌訪問。
彼女はほぼ毎日、食・住を保証してもらっている代わりにと、体調の思わしくない姫昌へと特別に調合した薬を持って来ている。
しかし、ここ数日、の呼びかけに、彼の答えは返ってこない。

――西伯公・姫昌の体は、日々、徐々にだが確実に弱くなっていた。


「今日の分、ここに置いときますねー」


寝台で静かに眠る姫昌の横に、そっと小袋に詰めた薬を置く。ついでにざっと顔色を窺うが、良くも悪くも変化無し。
は彼を起こさないようにと、得意の抜き足差し足で足音ひとつ立てる事無く部屋を出た。


「薬とはいえ、ほとんど補助栄養剤みたいなモンなんだけどな……」


どうやら姫昌は相変わらず、の調合した薬以外、ほとんど何も口にしていないようだ。
先日、何とか彼に食べ物を食べさせようと太公望が料理大会を開催したものの、目の前に出された食べ物を見て倒れてしまう始末。
あの調子では治るものも治らないと思う反面、噂に聞いた『ハンバーグ事件』を思えば、仕方ないことなのかもしれない――。

そんなことを考えながら庭に向かっていただが、城門に向かう見知った人影に足を止めた。


「あれ、望ちゃん。今からお出かけ?」
「おお、丁度良かった!!」


来い来いと手招きする太公望。は軽く走ってすぐに彼の横に並んだ。
そのまま門の外へと足を進める太公望に、足並み揃えて付いて行く。


「丁度よかった、って、どうかした?」
「今から繁華街に行くのだ。このあともし予定が無いなら、案内してはくれぬかのう?」
「……繁華街? いーよ。あの辺は配達の常連さん沢山いるから、けっこう詳しいし! でもどしたの急に?」
「人探しだ」


城下町というのはどこも賑わうもので、話しながら歩みを進めていけば、すぐに活気のある通りに出る。
太公望の一歩前を歩くは、繁華街、という漠然とした目的地を指され、豊邑でも一番人も商店も多い区画へと足を向ける。


「ふーん……それって望ちゃん知ってる人? 知らない人?」
「いや、知らん奴なのだが……」


言葉を濁す太公望を振り返ると、彼ははたと足を止めた。
ごそごそと懐を探り一枚の紙を取り出した太公望は、「こいつだ」とに差し出す。
はその紙を受け取ると、彼女にしては珍しく、その形良い眉を顰めた。


「……だ、だれ、っていうか、何?? 人間……だよね、これ」
「うむ……一応な」
「凄い絵だね……字は達筆だけど。小兄様、って?」
「周公旦の描いたものだ……。奴の兄らしいが」

「「………」」


と太公望が揃って顔をしかめて凝視している絵。
ぎょろっとした目に大きな鼻。頭にはターバンを巻いていて、入りきらなかった髪の毛が少しはみ出ている。そのままの顔で実在したら怖い。
二人はその似ているのか分からない『似顔絵』に目を落としたまま、揃って嘆息した。


「これを手がかりに姫発を探せと言われてものう……」
「……え、姫発っ!? ……発!?」


太公望が漏らした名前に、は反応良くばっと顔を上げる。
唐突に至近距離に現れた大きく見開かれた藍色の瞳に、以上に驚く太公望。
当のはというと、藍の双眸をぱちぱちと瞬かせながら、ぽかんとした表情で似顔絵をまじまじと見つめている。


「そういや、苗字……ほとんど聞いたことないけど間違いない! 何で今まで気づかなかった……ってか、会わなかったんだろ……」
、もしや知り合いか?」
「うん、前に西岐に降りてきたときの! ……うっわー、それならこれホンット似てない!!」


似顔絵と、似顔絵の作者と、思い出の中の人物とを比べて、は小さくぷっと吹き出した。
そのうち余計に可笑しくなってきたのか、あははと声を立てて腹を抱えて遠慮なく笑い出す。
太公望は彼女の笑いっぷりを見て、一人で似顔絵だけで探す羽目にならずに済んだ事に感謝した。

そんな時、彼らの横を、若い女がひとり全速力で駆け抜けた。土煙が立つほどの走りっぷりを見て、は漸く笑うのを止める。
何かあったのか、とざっと辺りを見渡すと、女のやってきた方向から、男が一人突撃せんばかりの勢いで駆けて来た。


「おっじょうさんっ! お待ちなさーい!!」
「まったくしつこいやつねっ! あんたなんか、あたしの好みの対極に位置する男なのよっ!!」
「キミがそう言うのなら、ぼくは変わろう!!」


道行く人が誰一人止める間もなく、ガシッ、と勢い良く女に飛びつく男。
女の不快感を露にした叫び声には思わず一歩前に出るが、女は男を投げ飛ばし、逆に一気に反撃に打って出る。


「このっ、このっ! くのっ、くのっ!! くぬっ、くぬっ、くぬ――っ!!!」


人間業とは思えない速度と力で男を殴りまくり、最後には数メートル先まで蹴り飛ばした女。
女のあまりの形相と勢いを、太公望とは唖然として見つめる。
気が済んだ女が立ち去った頃、太公望は心底呆れた顔で口を開いた。


「……のう、こんなバカな場所に姫発はおるのか?」
「………居たよ、目の前に……」
「はぁぁ!?」


驚く太公望を後目に、はすたすたと地面で伸びている男に近づく。
先程女に散々痛めつけられたその男は、頭から血を流しながらも、「幸せ…」と恍惚気味の表情を浮かべている。
柔らかく言えば若干、普通に言えばかなり怪しいその男に平然と近付くに太公望はさっと顔色を悪くするが、はその男の顔の横にしゃがみこみ、頭をつんつん、と突っついた。


「……相変わらずねー。ってか、むしろ相当進化してる?」
「!!」


頭上から降ってきた鈴の鳴るような声に、男は傷だらけとは思えない反応で頭を上げる。
その黒髪が一房、まるでレーダーのように天に向かって真っ直ぐに立つ。


「……うおおっ!! ち、ち、超ド級ぷりんちゃ……って!?」


男を見下ろし、口元を押さえて控え目にくすくすと笑う
彼女と目が合った瞬間、男は一瞬硬直した。


「やっほー発っちゃん、すっごい久しぶり!!」
「……………、ちゃん……?」


男の問いに答える代わりに、はにっ、と満面の笑みを見せる。
太公望の探し人――周公旦の兄、姫発は、そんなに、彼女をも超える物凄い反射神経で反応した。


ちゃあああんっ!! 会いたかったぜ!!!」
「ひゃっ!! ……って、まったく……ホント変わってないわねー」
「うっわ、何年ぶりだよ!? 会わねぇうちに更にぷりんちゃんになったなー!!」
「あーはいはい、ありがとー」

「こ、こやつが姫発……!?」


はらはらと見守る太公望をよそに、に思い切り抱きつく姫発と、平然とされるがままの
苦笑気味に、しかし再会の嬉しさを声色に滲ませつつ姫発の頭をポンポンと叩くを見て、太公望は密かに嘆息した。


「(……おぬし、もうちっと自覚せんかい!! ったく、十二仙に知れたらどうなることか……)」


内心で十二仙を引き合いに出しつつも、自身も相当に複雑な心境だったことは、は勿論、太公望本人すら気づいていなかった。










「しかし意外だったのぅ……まさかおぬしのようなアホが姫発だったとは」


当初ごねていた姫発だったがに頼まれては反論できず、無事西岐の城に戻って来た三人。
太公望との前で胡坐をかいている姫発は、きっちり正装に着替えさせられていた。


「だが、そうやってちゃんとした格好をしておれば、それなりに見えるぞ」
「私もこーいう服の発っちゃん見るの初めて……ってか発っちゃん、まさか西伯公の息子だったなんてね。だから姫昌さんが私の薬使ったことあったってワケか」
「おう。でも俺だって、まさかちゃんが道士だったなんて思わなかったぜ……それが昔言ってた『正体』か?」
「うん。西岐には視察で来てたの。……多分、こうなった時の為に、ね」


ふんわりと天使の微笑みを浮かべるを見て、姫発は反射的に再びに抱きつきかける。
しかし、彼の後方から響いた濁声によって、伸ばした両手はそのまま止まった。


「姫発さまっ!!」
「げっ!!!」


振り返り様に盛大に顔を引き攣らせた姫発の視線の先には、見るからに金持ちな恰幅の良い男。


「今日こそは借金を返してもらいますっ!!!」
「借金? おぬし借金をしておるのか?」
「あ、そーいや私にもあるよね、未払いの薬代」
「ばっか、テメェ、城には来るなって言っただろが!!」


姫発の言葉にも動じず、大富豪は金借証を手に、さらに姫発に詰め寄る。


「酒と女とギャンブルで、借金は日本円にしておよそ一億!!!」
「「い、いちおく…!?」」
「さぁ、今日こそは耳をそろえて返してもらいますよっ!! さもなくば周公旦さまに、借金のことをちくります!!」
「旦に? ひきょうだぞテメェ!!!」


大富豪に食って掛かる姫発に、太公望は横から声を掛ける。


「姫昌に借りたらどうだ?」
「ばかやろう! これは俺個人の問題だ!!」


姫発のきっぱりした返事に、太公望は「ふむ…」と密かに微笑む。
しかし、その後ろでは、大富豪が不満げな顔で仁王立ち。


「そんな事はどうでもいい事です! いいですね? まずは一ヶ月以内に、日本円にして一千万! 返さない時は城のものを差し押さえさせてもらいますからねっ!!」


言うだけ言うと、大富豪は姫発の返事も聞かずにのっしのっしと帰っていった。
嵐のように現れて去って行った来客に、残された三人は、暫し沈黙する。


「ってか発っちゃん……何であんなに増えてるの?」


小さくなっていく大富豪を見送りつつ、最初に口を開いたのは
じとりと半眼で見つめられているにも関わらず、対する姫発はすでに開き直り状態。


「そっれが覚えてねぇんだよなー。ま、金なんてどうにでもなるもんさ!!」
「それ、昔から言ってたわよねー、この口で〜! 現在どうにもなってないじゃん!!」
「い、いいいいいひぇえ!!」
「『これ以上借金増やしちゃダメだよ〜?』って言った時点で、確か十万円だったわよね〜? あの時点でどうにかしときゃよかったのに……」
「わ、わひー! わひーっひぇ! いひぇえから!! ひゅみまひぇん!!」


涙目の姫発を正面からじっと見やり、ふう、と大きく嘆息する
その両手は、未だ姫発の両頬から離されていない。


「うーむ……姫昌の跡継ぎがこれではしまりがないのぅ。仕方がない……ここは一つ、わしが知恵を貸して、金をつくらせてやるかのぅ」

「「へ??」」


に負けない大きな溜息を吐きながら言うのは太公望。
彼に向き直った姫発の両頬は、変わらずに引っ張られているままだった。




<第34話・終>

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あとがき