「望ちゃん、起きないなぁ…」


――あの戦闘から、三日経って。
ごりごりという音を静かな部屋に響かせながら、は独りごちた。










第33話
 ―分岐点と、定めた道










「よっし、完成ー!! ……これで今回使いまくった薬の補充は完了っ!」


眠り続けている太公望の傍らで、薬の調合をしていた
周りに散乱していた完成品を集めて収納用宝貝にしまうと、穏やかな寝息を立てる太公望の様子を診る。


「怪我はだいたい治ってきたし、熱も下がったし。そろそろ起きても良い頃よねー……」


太公望の額に左手を当て、自分の額へ右手をやる。
感じる温度に差が無いことを確認すると、の視線は愛用の宝貝へと移った。


「んー、怪我はもう治ってるけど……」


の左腕で淡く光を放つ、二つ一組の腕輪型宝貝・双輪雪。
この宝貝は力を吸い取り、その力を与えることで怪我を治すのに使えるもの。
普段とは違った状況に期待は持てないながらも、少し力を籠めて太公望の額に翳してみる。


「……早く、目が覚めますようにー……って、あはは、何かおまじないみたい」


淡く青白い光を放つ双輪雪を見やりつつ、は太公望の顔色を診る。
普段より幾分か白い頬に血色が戻る様子は見られなかったが、宝貝の発動を止める事はしない。
ちらりと見やった両の瞳は、尚もゆるく閉ざされたまま。
降りたままの瞼に掛かる前髪に手を伸ばしたは、その濃藍の瞳を丸くした。


「うっわー、さらさらー……」


は感嘆の声をあげながら、太公望の髪を掬っては落とし、光の反射を楽しむ。
暫くそうやっていただが、突然ふと顔を上げてその手の動きを止めた。


「……望ちゃんならまだ起きてないよー。それに、修行は午後の予定だよね?」
「うっ……気付いてたんか……」
「ふふっ、でも直前まで気付かなかった。上手くなったよ」


振り返る事無く声を上げたの後ろには、ばつが悪そうな顔で歩みを止める天化。
気配を読むのに敏い姉弟子に感心するやら、修行不足の自分が悔しいやらで、返答代わりに大きく溜息を吐く。
後ろから聞こえたあからさまな音に、は小さく苦笑した。

気を取り直しての傍らまでやってきた天化は、彼女の左腕を見て、太公望を見て、首を傾げて口を開く。


「……なぁ、双輪雪って怪我以外にも効くんかい?」
「うーん、どうかなぁ、よく分かんない。やらないよりはマシ、って程度かもね……今のところ変化は無いし」
「ふーん?」


難しい顔をするに同じような表情で返すと、天化はその視線を太公望へと戻す。
顔を覗き込むようにして寝台に身を乗り出した丁度その時、太公望の瞼が微かに震えた。


「ん!? 今ちょっと動いたさよ!!」
「えっ、ホント!?」
「……よっしゃ、武吉っちゃんとカバっち呼んでくるさ!!」
「うん、お願い!!」


言うやいなや走り去る天化の背に一声掛けると、は再び太公望に向き直る。
ぐっ、と握り締めた両手と連動するように、双輪雪が瞬いた。








「う…………」


駆けつけた武吉と四不象が見守る中、の左手の下で、太公望の瞼がゆっくりと開かれる。
その瞳が三人を映すより早く、彼等は三者三様に大きく声を上げた。


「望ちゃん!」
「お師匠様ーっ!!」
「御主人!! 良かったっスーっ!! このまま起きなかったらどうしようかと思ったっスー!!」


病み上がりの太公望に、武吉と四不象が半泣きで喜びのタックルをかます。
部屋に響く豪快な音と苦しそうな太公望に、は寝台の反対側で苦笑した。


「もー、二人とも。嬉しいのは分かるけど、一応まだ病人よ?」
「スープー……武吉、……」


漸く二人に解放された太公望は、ゆっくりと周囲の状況を確認する。
涙目ながらも笑顔を浮かべる武吉と四不象、そんな彼等を諌める、彼女の左腕に光る宝貝と、自分が寝かされていた部屋。
太公望の視線は部屋を一周すると、淡く弱い光を放つ双輪雪と、床にまだ残る薬の調合器具で止まった。
事の経緯を理解すると、太公望は憂い顔でに向き直る。


「おぬしには、だいぶ世話になってしまったようだのう、……」
「そんなこと無いよ? 薬は皆も使ったし、双輪雪もさっき使い始めたばっかりだし」


ひらひらと左手を振って応えるに、太公望の表情も和らぐ。
恩に着る、と返した彼に、はふと気になっていた事を訊ねた。


「……ねぇ、双輪雪で治療してたとき、何か感じた? ホントに効いてたのか分かんなくて」
「うむ……意識がはっきりしてくる前に、心地よい冷たさで体が癒される感覚があった……」
「へぇ、そっか! なんだぁ、そうと知ってりゃもっと前から使ったのにー」


は太公望の答えに目を丸くして、まじまじと双輪雪を見つめる。
嵌め込まれた水晶をつつきながら口を尖らせる彼女に、太公望は顔をしかめた。


「阿呆、戦闘ごとにんな事しとったら先におぬしが倒れるっつーに」


を通してどこか遠くを見やるような呆れ顔で呟く太公望。
そんな彼の一言に、はすかさず反論する。


「えぇ、そんな事ないってば! 力の配分くらい考えて使うよ!!」
「どーだかのう……。前科もあることだし」
「え、なに、前科?」
「ほー、忘れたとは言わせぬぞ? 確かアレはわしが封神計画を始める1年前の……」
「……あ!」
「のう四不象に武吉、は昔……」
「あ、ちょっ、だめ!」
「なんだ、思い出したか?」
「思い出した! や、だめ、それ言ったら望ちゃんには今後一切使ってあげない!!」
「ほーう?」
「……や、分かりましたごめんなさいむやみやたらに使わないから言わないでくださいおねがいします」
「ふむ……そこまで拒むというならやめておくかの?」

「………」


四不象と武吉が口を挟む間もなくトントン拍子に続く応酬。
起き抜けとは思えないほど生き生きした太公望にすっかりやりこめられ、は頭を抱えてうずくまる。
暫しの沈黙のあと、大きな溜息と共に顔を上げたは、寝台に頬杖をついて太公望を見上げた。


「……でも良かった! ちゃんと起きてくれて」


上目遣いで向けられた溶けるような笑み。
いくらか血色の良くなった太公望は、居心地悪そうにふいと視線を逸らした。





『十分に回復したら、話がしたい』――。
そう言伝を頼まれていたは、太公望を連れ、姫昌のもとを訪れていた。


「――太公望、さん……我々西岐も、朝歌との戦争を決意しました」
「「!」」


今までの経緯を話し終えた太公望に、話を切り出したのは周公旦。
元々西岐に協力を要請するつもりで来たにも関わらず、その言葉に大きく反応する二人。
そんな彼等の様子を知ってか知らずか、周公旦は淀みなく話を進める。


「先日、四聖の一人が西岐を攻撃した際、さんのお陰で死者は出ずに済みましたが、攻撃を受けた地域は壊滅的な被害を受けましたからね」
「壊滅的、か……。死者は、ってことは、やっぱ怪我人は結構出ちゃったんだ……」
「あの攻撃があったにも関わらず、犠牲は一人も出なかった。その上、怪我人に配る薬も大量に作って下さった。には、本当に感謝してもしきれないんですよ」
「姫昌さん……」
「西岐を代表して礼を言います。本当に有難うございました」


周公旦の言葉に俯くに、姫昌が優しく声をかける。
しかし、すぐにその表情を険しくすると、太公望に向き直った。


「……西岐の民を傷つけた罪は、見過ごすわけにはいきません! いえ、私たちが黙っても、民が黙っていないでしょう!!」

「おっと! その話、俺たちも加わらせていただきたい!!」


突如背後から響いた力強い声と足音に、たちは一斉に振り返る。
そこに現れたのは、五人の立派な武将たち。


「武成王!! これは頼もしい!!」


姫昌は自ら立ち上がり、現れた武成王たちを歓迎する。


「――では太公望! あなたには、西岐の軍師となって、指揮をとっていただきたい!! 引き受けてくれますね?」
「………」

「望ちゃん……?」


姫昌の言葉に少し俯く太公望。
隣に座るはさり気なく顔を覗き込むが、その表情は垣間見えない。
暫しの沈黙の後、彼は覚悟を決めたかのように、ゆるゆると顔を上げ、肯定の返事を返した。










――その頃、金鰲列島の九竜島。
西岐から引き上げてきた四聖が、彼等と対峙する殷の太師に疑問を投げかける。


「聞仲様、なぜあやつらを殺さずにおいたのですか?」
「借りを返しただけだ。仙道の力で、西岐に壊滅的な被害を出してしまったからな。その罪は償い切れるものではない」


静かにそう言う聞仲に、張本人の王魔は静かに項垂れる。


「出過ぎた真似をしてしまいました……」
「過ぎた事を言っても仕方があるまい。幸い、死者は出なかったようだ……あの一族の女のお陰でな」


その言葉に、四聖がパッと反応する。
能力的にも、その出生でも、聞仲をあれほどまでに驚かせた道士・
倒すべき敵に含まれるはずなのに、あの聞仲が、殺すなと命じた女。
一体彼女は何者なのか、尋ねたいが尋ねられない――そう言わんばかりの表情が、四聖全員に浮かぶ。
そんな彼等の表情を見て、聞仲は眉をひそめた。


「……忘れたか? 話したはずだ……殷は、一族に、到底返し切れない恩があると。その末裔が周に組する崑崙の道士だとしても、殺すわけにはいかない……。今回、西岐に犠牲者が出ずに済んだのも、の力によるもの……。フッ、また借りを作ってしまったな……」


遙か昔に過ぎ去った時間を辿るかのように、遠くを見つめる聞仲。
四聖も漸く聞仲の言わんとしている事を悟り、一斉にはっとした表情を浮かべた。
朝歌に戻る、また力を借りる、と彼らに言い残した聞仲は黒麒麟の背に乗り、九竜島を離れる。


、か……。生き残りが居たとはな。一族は殺せんし、殺させはせん……。殺しはせんが、殷を脅かすならば……容赦はせんぞ!!」


聞仲は静かに独りごちると、金鰲島を飛び立った。




<第33話・終>

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