「あっ、さんっ!! もう体は大丈夫なんですかっ!?」
「おはよー武吉! 薬飲んでしっかり寝たからもう平気っ!」










第32話
 ―戦いのあとで










あの悪夢のような戦闘から一夜明けて、早朝の西岐城。
早々に目覚め、城内をうろうろしていたは、昨日の疲れを全く感じさせない武吉と出会った。


「ね、武吉こそ大丈夫??」
「はい! ぼく、怪我が治るのが人より少し早いんです!!」
「やっぱ天然道士って凄いわねー……」


えへへ、と笑って言う武吉を、は苦笑しながら見やる。

それもそのはず。

昨日の戦闘に加わったメンバーは、多少の差はあれど、全員相当の傷を負っていた。
避難していた黄一族や四不象に助けられ、何とか全員が西岐の城に辿り着いたのが日没後のこと。
全身ぼろぼろの一行は治療を施され、寝台を与えられ、気を失うように眠りに着いた。
あまりにもダメージの大きかった者は、治療中に既に意識を失っていたけど。

…それが、つい十時間ほど前のこと。


「(でも…よくもまぁ、みんな無事に済んだモンよね…)」


は昨日の出来事を思い出し、思わず身震いする。

見せ付けられた、圧倒的な力の差。
縮まることのない距離。
親友の説得にも応じない、強い強い忠誠心。

…それでも、これからも立ち塞がってくる敵なのだ。


「(もっと……強くなんなきゃなぁ……。気ぃ失うなんて功夫が足りない証拠! 修行しなきゃ!!)」


は軽く両手を握り締め、よしっ、と気合いを入れると、再び武吉に向き直る。


「ねー武吉、みんながどこに居るか分かる? あ、でもまずは姫昌さんに挨拶、だね」










「まずはここ! ナタクさんの部屋ですっ!!」
「……寝てるわ、大人しく。めっずらしー……」

は姫昌に礼と説明をしに行った後、武吉に案内され、仲間達の部屋を巡ることにした。
その左手には宝玉の嵌められた双輪雪、隣の武吉の手にはの薬や治療器具。

武吉を助手にしたは、まずナタクを診る。


「ナタクー、大丈夫ー?」
「……ム?」
「あ、起きた起きた。武吉、鞄の中から赤い巾着出してくれるー?」


ナタクの反応を確めながら、テキパキと武吉に指示を出す
彼から受け取った巾着から出てきたのは、治療器具というよりは、工具のようなもの。


「太乙にちょっと習っといて良かったー」
「……お前、直せるのか?」
「応急処置にすぎないわよ。これ、ちゃんとした道具じゃないし。まぁでも、これで少しは飛びやすくなると思うよ?」


ナタクの両足をいじりながら、が答える。
部屋には暫く機械音が響いていたが、ナタクも武吉も大人しくの行動を見守っていた。


「…はい、終了ー! さてナタク」


作業を終えたは、工具をしまいながらナタクに声を掛ける。
言葉の続きは敢えて飲み込み、濃藍の光を湛えた瞳で彼をじっと見つめる。

その視線を受けて、ナタクがゆっくりと口を開いた。


「オレは仙人界に戻って足の修理をする。それから改めてあの仮面の男と勝負をすることに決めた」
「ん、それが良いね」
「……太公望に借りをつくったな」


静かに起き上がり、空中に浮かんで感触を確めながら呟くナタク。
フンッ、と小さく嘆息すると、と武吉に背を向け、軽々と欄干を飛び越える。


「うんうん、大丈夫そう! これなら仙人界までは持つわね」
「………」


宙に浮かんだナタクを見て、独りごちる
今にも飛び立とうとしていたナタクは、その呟きを聞いて、ゆっくりと顔だけに向けた。



「ん?」
「……お前にも、借りを作った」
「!」


それだけ言うと、ナタクはの返事も聞かず、猛スピードで仙人界へと向かって行った。








「次はここ?」
「はいっ! 天化さんの部屋ですっ!!」


次に連れて行かれたのは、ナタクの所からそう離れていない部屋。
が中を覗くと、寝台の上で上半身を起こしている天化と目が合った。


「天化! 起きてたんだ。大丈夫??」
「あぁ……このくらいどーってこと無いさ! 治療なら大丈夫さよ?」


ニッ、と笑ってみせる弟弟子をざっと観察すると、無表情ですたすたと寝台に近づく
天化はそんな姉弟子の行動に眉を寄せ、小さく首を傾げる。


…? どーしたさ?」
「………」


返事の代わりに挙げられたのは、の右手。
ぺちっ、という軽く乾いた音が、部屋に響いた。


「〜〜〜っ!!!!!」

「っ!! さんっ!?」
「これのどこが平気なのよ、ばか」


大きく溜息を吐き、腕を組んで天化を見下ろす
傷跡の残る背中を叩かれた天化は声無き悲鳴を上げ、前屈みになってうずくまる。
は暫く無言でその様子を眺めていたが、そのうち左手を天化の背に伸ばし、双輪雪を発動させた。

治療を始めてくれたことでお許しが出たと思ったか、天化が小声で文句を垂れる。


「よ、容赦無ぇさね……」
「誰のせいよ」
「………」
「武吉、黄色い巾着お願い」
「……あ、はいっ!」


小さな不満が見事に一蹴されたことで黙り込む天化。
珍しく相当にご立腹なのオーラを感じてか、武吉さえも頬に冷や汗を掻いている。


「ったく、そんなトコで強がってないの! 早く治して修行するわよ、修行!! ……相手してくれそーなの、天化くらいなんだし」


は武吉から黄色い巾着を受け取ると、中から塗り薬を探し出し、天化に投げて渡す。
天化は大人しく受け取ると、腕の傷に薬を塗りながらを見上げる。


「俺っちくらい、って、どーいうことさ?」
「ナタクはさっき仙人界に帰ったの」
「楊ゼンさんは?」
「……まだ診てないけど、無理ね。多分」
「そんなに酷ぇんさ?」
「ううん、そうじゃないけど、なんとなく……」


目を伏せるに疑問を感じつつも、天化は一拍遅れて相槌を打った。








「で、ここが……」
「はい、楊ゼンさんの部屋ですっ! お師匠様の部屋は分かりますよね?」
「うん、後は大丈夫! ありがとね武吉!」


案内役の武吉と別れ、は一人部屋に足を踏み入れる。
部屋の主はベッドには居らず、暗いオーラを纏いながら部屋の中を力無く歩き回っていた。


「よ、よーぜん…? もう歩けるの?」
「まけた…まけた…まけた…まけた…」
「……おーい、楊ゼン、大丈夫? いろんな意味で……!!」


体中にはまだ痛々しい傷跡が残っているにも関わらず、ただ呟きながら部屋の中を徘徊する楊ゼン。
何度声を掛けても、目の前で手を振ってみても、反応は無い。

どうしたものか、と考えたが思い付いたのは、この一言。


「……顔に傷、残ってる」

「!!!」


が敢えて使った禁句に、楊ゼンは予想以上の反応を見せた。
凄まじい勢いで振り返った顔は蒼白で、整った顔に浮かぶのは必死の形相。
は楊ゼンの鬼気迫る様子に思わず一歩後退するが、彼はその勢いのままの肩に掴み掛かる。
そして、いつになく近い位置にある藍色の瞳を眼に映し、楊ゼンは漸くの存在を認識した。


「わっ! 反応したっ」
「なっ!! え、っちょっと、!! か、かか、顔に傷って本当かい!? この僕の美しい顔に傷が!!?」
「……や、ホントだけど、ちょっと待ってよ」


普段では考えられない取り乱しように苦笑しながら、は楊ゼンの頬に左手をやる。
頬に残る赤いラインに沿って、つうっ、と白く細い指が動いた。


「……!?」


指の軌道に残る、心地よい冷気と柔らかな霊気。
そのゆっくりとした動きと連動するように、の左腕で双輪雪が淡く瞬き青白い光を放つ。

楊ゼンがひんやりとした感触に気付いた時、彼の陰り気味の瞳に映ったのは、藍色ではなく水色の髪。


「あっ……」
「ほら、傷、綺麗に消えたでしょ?」


ねっ、と言って自慢気に笑うの手元には、彼女の手鏡。
元通りの自分が映るそれを差し出された楊ゼンは反射的に受け取り、食い入るように見つめる。
は楊ゼンの背後に回ると、再び双輪雪を発動させた。


「……仙人界戻るなら、起きてる人には声くらい掛けて行きなよね」


双輪雪が放つ光で、細かい傷と全身的な疲労を満遍なく取り除く。
返事の無い楊ゼンの背中を見つめながら、は静かに呟いた。


「(ホントは、残って修行の相手して貰いたいんだけど……やっぱ、そうもいかないみたい、だね……)」


その思いは呟きに変えず、は無言のまま治療を済ませ、鞄の中の青い巾着から薬を出し、楊ゼンの手に握らせる。
そして、未だ軽い抜け殻状態の楊ゼンを部屋に残し、太公望のもとへと向かった。




<第32話・終>

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