「ただいま、お母さん…」
「おや、おかえり武吉。あら…お客さんかい?」
「この方はぼくのお師匠様、道士・太公望さんだよ。そしてこの方はさん。さんも道士なんだ」
「師匠はやめい!」

「…いーかげん諦めたらいいのに」








第12話
 ―当たり前だけど、大切なモノ。








――武吉の強行救出から一夜明けて、一行は武吉の家を訪れていた。

病弱だという、ベッドで寝ている武吉の母を一瞥すると、太公望はに声を掛ける。


、おぬしの方が確実であろう?」
「んー、そう? じゃあ…お母さん、ちょっと失礼しますねー」
「?」


太公望に言われて、武吉の母を診る
も伊達に雲中子のところに入り浸っていたわけではないので、太公望も安心して眺めている。


「うーん…過労からくる、背中とか足の筋の病気だね…アレがあれば一発なんだけど、流石に持ってないし…。今から代用品の調合するから、ちょっと待っててー」
、アレとは、これの事であろう?」
「え??」


鞄の中から必要な薬を作るための材料や器具を探しているに、太公望が得意げに声を掛ける。
に向かって差し出された手には、大粒の丸薬が三つ。


なっ…な、な…何で…こんな貴重なモン、普通に持ってるのよ…!?」
「かっかっか! わしに不可能はなーい!!」


元々大きな目を更に大きく見開いて驚くに、太公望はますます得意になる。
そんな二人の様子を見て、四不象は首を傾げる。


「御主人、その薬は何スか?」
「元始天尊さまからかっぱらってきたマルヒの薬だ!」

「…や、やっぱり………」




「お母さん………」


そんな中、決意を籠めた瞳で母を見つめ、口を開いた武吉。


「ぼくはちょっと用事があって、行かなくちゃいけないんだ。食べ物はキッチンにあるから適当に食べて。…それじゃ、行ってくるよ」
「うむ…とスープーは、残って彼女の面倒を見ておれ」
「りょーかいっ」


「武吉!」


家を出て行く二人に、武吉の母がベッドから立ち上がって声を掛ける。


「何があったかは知らないけど、私の事は心配いらないよ! おまえは自分の正しいと思った事をおやり!」
「はい!!」


――返事をした時の武吉の瞳には、しっかりとした光が宿っていた。






「……お母さん、薬を飲むといいっスよ…はい水っス」


一気に静かになった家の中で、最初に声を出したのは四不象。
は暫く閉じた扉を見つめていたが、そのうち鞄をごそごそやりはじめた。


「あら、ありがとうカバ夫くん」
「ボクは四不象っス! カバ夫じゃないっスよ!!」
「はいはい」


そんなやりとりを笑って眺めながら、は武吉の母に近づく。
その両手には、色とりどりの薬草や調合用の器と、大きな青い布。


一方、薬を飲んだ武吉の母の身体に、変化が起きていた。


「…な…何だい? なんだか元気が出てきたよ!」
「仙人界の薬はよく効くっスよ! 良かったっス!! 立てるようになったっスね!!」


そう言う武吉の母には先程までの弱々しさは無く、しっかり両足を地につけて立っている。
そんな彼女の様子を診ながら、は満足げに頷く。


「良かったー。やっぱアレが一番効くんだよね、この病気には。…あ、お母さん、コレ、床に広げちゃってもいいですか?」


左手に持つ青い布を持ち上げながら言う。これを敷いて、薬の調合を始めるつもりだ。


「あら、全然良いよそれくらい。…ありがとうね、お嬢さん。カバ夫くんも」
「いえいえ! 元気になって良かったですよ」
「だからボクは四不象っス――!!」


短い両手をばたばたと振って主張する四不象。
と武吉の母は思わず顔を見合わせ、くすくすと笑い出す。


…しかし、全員に笑顔が戻ったのも束の間。

武吉の母は、やはり息子のただならぬ様子が気になっているのか、閉じられた扉を見つめ、「武吉……」と小さく呟く。
そんな彼女を見つめる、四不象と


「…だっ、大丈夫っスよ! 武吉くんは元気で戻ってくるっス!! ねぇさん!?」




「……えっ? 

…あぁ、うん、勿論だよ! 策士の望ちゃんもついてるしね」




四不象の問いかけに笑顔で答えるだが、反応がいつもより遅かった。
その笑顔もいつもと違って、少し寂しげな表情が垣間見えていた。

それを見逃さなかった四不象は、聞きづらそうにしながらも、に問いかける。


「……さん? どうかしたっスか?」
「…いや、ちょっとね…」


返事にもキレがない。
彼女らしくもなく、言葉を濁して誤魔化そうとしている。

そんなを見た四不象の表情がますます心配顔になるのを見て、は苦笑しつつ再び口を開く。


「ごめんスープー、そんな顔しないでよ。ただ…ちょっと、羨ましいなって思っただけ。……母親、って存在」
「え……?」


首を傾げる四不象。母親、と聞いて、武吉の母も静かに耳を傾けている。
二人を見て、静かに目を伏せたは、軽く溜息を吐いたあと、話を始めた。


「私は…全然覚えてないから。物心ついた頃から仙人界にいたからね。

…丁度、三歳の誕生日に上ったらしいんだけど、五歳になって修行始める前の事は、ほとんど覚えてないの。
四歳の誕生日に煽鉾華貰った事とか、断片的な思い出はあるんだけど…。

…だから、人間界に居た時のことなんて、何にも覚えてないんだ。まぁ、小さかったから仕方ないよね」


一度言葉を切ったは、その視線を胸元の青いネックレスに向ける。


「…このネックレス、母様の……形見、なんだって」

「そう…だったんスか…」
「お嬢さん…」


目を伏せ、静かに反応する四不象と武吉の母。
再びしんみりした空気になってしまったのを感じたは、慌てて言葉を続ける。


「あ、でも、崑崙では全然寂しくなかったよ? みんな呼び捨てとかで呼んでるけど、過保護な父親代わりは十人以上いるし。
孫に甘いおじいちゃんは三人もいて。
竜吉さまがお母さん、赤雲と碧雲がお姉ちゃん、楊ゼンがお兄ちゃん、みたいな感じだし。
その上今は可愛い弟分達もいるし、宛ちゃんとかスープーもいるし!!

…人間界のことは覚えてなくても……私にとって、崑崙山が私の家で、崑崙のみんなが私の家族。
それだけで…十分すぎるほど幸せだから」


話を終えたの笑顔は、今度こそ本当に心からの眩しい笑顔。
それを見て、四不象の顔にも安堵の表情が浮かんだ。

は「心配かけてごめんね」と四不象を撫でると、武吉の母に向き直る。


「…お母さん、武吉君はちゃんと帰ってきますよ。帰るべきところがあって、そこに家族がいるんだから。

…ね?」

「…そうだね」


の言葉と心からの笑顔に、武吉の母も漸く微笑んだ。




<第12話・終>


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