「待って下さい! お師匠様っ!!」


突然現れた、太公望の弟子志願者、木樵の少年・武吉。
太公望たちが空へと逃げたにも関わらず、その物凄い脚力で、地上で走って彼らを追いかける。








第11話
 ―彼の真意は?








「うげげっ!!! 走って追って来てるっスよ!!! さん以外にも、ボクと同じ速さのヒトがいたなんて!!」


数年前に仙人界で、自身に引けを取らないの飛行速度や走る速度にショックを受けた四不象。
そのショックを漸く忘れた頃に起きたこの出来事に、衝撃を隠しきれない様子。

そんな彼の背中には、今日は二人の道士。これでは多少のスピードダウンは仕方ないのだが。


「ぼ、望ちゃん…もっと前行ってよ…お、落ちる〜!!!」
「たわけっ!! そんな所に掴まるおぬしが悪いのだっ……!! 煽鉾華で飛べばよかろう!!」
「この状態じゃ鞄から出せない! …ってか、望ちゃんがあんな急に飛び立つからいけないんでしょ!!」


先程、急に飛び立った太公望たちに遅れをとるまいと、は咄嗟に太公望に飛びついた。
飛び立ってから煽鉾華を出して自分で飛ぼうと思っていたのだが、今片手を離したら、間違いなく地上へ真っ逆さまだろう。

――は今、太公望の腰にしがみつき、その細い腕の力だけを頼りに空を飛んでいた。


「む、むうっ…仕方ないのう…」


太公望はほんのり顔を染め、ぶつぶつ言いながらも前へずれる。
少し開いた隙間のお陰で、は漸く四不象の上に座ることができた。


「霊獣としての立場がー!!!」


まだショックが治まらない四不象に、太公望が武吉を見下ろしながら言う。


「あやつは……天然道士というやつだな…。あんなのが人間界におっては混乱が生じるであろう? だから仙人界は、そういう人間を一人残らずスカウトして連れて行くのだが……」


そこで太公望は、何故かその視線を一瞬に向ける。
は太公望の意味有り気な視線には気付いていないのか、下を行く武吉を眺めている。


「…スカウト漏れっスか?」


四不象の言葉に、太公望の意識がこちらに戻って来た。


「う、うむ…そういう事も時々あるのだ」
「でもあのヒトを味方にしたら、きっと役立つんじゃないっスかね?」
「んー、確かにそうだよね? 何か結構良い子みたいだしさ」


四不象とは、地上で「おっしょーさま―――!!!」と叫びながら、爽やかに走る武吉を見やりながら言う。
太公望は、そんな二人の言葉に微妙な表情。


「味方はいいが、弟子はとらぬ…」
「……はっはーん…スープー、望ちゃんってばお師匠様とか言われて照れてんのよ〜!」
「ああ! そーいうことだったんスか、御主人!」


笑いながら小突いてくるに、太公望は「違うわい!!」と即座に反論する。

しかし、その視線はすぐに、再び地上へ。


「む? あれは……」
「…ん? …どーかした??」
「いかん! ぶつかる!!」

太公望の視線の先には、武吉が進もうとしている方向からやってくる行列と、風に靡く旗。
後ろに座っているには、何が起こっているのか分からない。
その身をぐっと前に乗り出し、太公望の視線を追う。


が前方で靡く旗印を確認したのと、ほぼ同じタイミングで。
…辺り一帯に、地響きのような衝突音が響いた。





武吉がぶつかってしまったのは、事もあろうに、この西岐で一番偉い人…西伯公・姫昌だった。
物凄い衝撃を受け、飛ばされた姫昌。怪我が無い訳が無い。


――四大諸侯を傷付けた者は、問答無用で死刑である。


武吉が如何に真っ直ぐに謝ったとしても、姫昌が心を打たれ、彼を許そうとしても。
法律で決まっている以上、指導者たる姫昌がそれを破る事はできない。
武吉もそれは良く心得ているようで、その両目に涙を浮かべながらも、爽やかな笑顔で、自ら罰を受けると言う。


彼を気にかけ、一度は許そうとした、姫昌の人徳を讃えながら。





「…ねー、望ちゃん…」


武吉の場にそぐわない穏やかな笑顔に、地上が沈黙に包まれている頃。
上空で事を見守っていたが、ゆっくりと口を開いた。


「私たちにも…責任あるよね? だから…」
「分かっとるわい! ほれ、行くぞ、スープー!!」


きびきびとした太公望の言葉に、の顔にも笑顔が戻る。
しかしすぐに、その顔には、記憶を反芻しているかのような表情が浮かんだ。


「(それにしても…さっきの、もしかして……?)」








――その夜、西岐城。
月明かりの綺麗な、フクロウが鳴く夜。


は、真横にいる“フクロウ”を一瞥して、小さく溜息をひとつ。
その視線を目の前の牢に向ければ、中に居る少年が、丁度こちらに気付いた。


「…! おっ…お師匠様!!!」
「フフフ…ふくろうだと思ったであろう?」
「んなワケないでしょ…」


すかさず隣の太公望に突っ込みを入れるだが、武吉の方は気にしていない様子。


「ぼくの事を心配してきてくれたんですね!! お師匠様ぁ――! 感激ですぅ―――っ!! …それと、こちらの方は?」
「師匠はよせというに、気色悪い」
「望ちゃん、やっぱ照れてるー!」


からかうに、太公望はまたしても「違うわいっ!!」と反論する。
ふう、とひとつ溜息をついた後、を自分の横に立たせて武吉に紹介する。


「こやつは。わしと同じ、道士だ。道士はまだ弟子はとれぬ。…おぬしにならいい仙人を紹介してやってもいいぞ」
「仙人なら誰でもいいってわけじゃないんです! 太公望という人の弟子じゃなきゃ意味はありません!!」
「――なぜ、そこまでわしにこだわる」


当然の疑問に、武吉は初めて、あまりキレの無い口調で答える。


「それは…ぼくのお父さんが仕事で朝歌に行ってた事に関係しています。…お父さんは朝歌で死にました。蛇の入った穴に落とされて…」
「…!?」


「おぬし、タイ盆を知っているのか」


太公望がぴくっと反応した。
タイ盆事件を知らないも、『朝歌』『蛇の入った穴』という単語で、それがあの妲己の残酷な処刑法だということは理解し、その形よい眉をぎゅっとひそめる。


「あの時、朝歌の武成王に助けられたという人が数人いたんです。その人たちから聞きました」

「…!」

――場の、空気が変わった。


「(…私、ここに居るべきじゃなさそうね……)」


きっと、今、ここにいたら……聞いてはいけない、聞いて欲しくないと思われていることまで聞いてしまう…気がする。


雰囲気の変化を感じたは、静かにこの場を離れようと、さり気なく足を一歩後ろに引く。
しかし、そんな時。


…太公望がのコートの裾を掴んだ。


「…え?」


太公望はそのまま、視線はしっかりと武吉に向け、静かに口を開く。


「…あれはわしの不注意が招いた惨事だった…さぞわしが憎いであろうに」
「(……望、ちゃん…)」


嫌な予感はあったものの、あまりの事実に、ただ太公望を見つめることしかできない
そんなの頭に、ふいにかつての普賢の言葉がよぎる。


『望ちゃんはよく一人で抱え込むからね…が傍に居てくれるんなら、僕も安心できる』

『あるんだよ。にできること。…ううん、にしかできないことかな…。いいんだよ。まずは傍に居て、計画を手伝ってあげれば』



「(……そーいう、ことか…。少しだけ…分かったよ、普賢の言いたかったこと)」


は下げていた足を前に踏み出し、太公望のすぐ傍ら…先程よりも近い位置に立つ。
牢屋の中では、武吉がふるふると首を振って、太公望を真っ直ぐ見つめる。


「みんなはお師匠様が悪いって言ってますが、でも、よぉく考えると、本当に悪いのは妲己です!!
そしてお師匠様はそんな妲己から逃げずに、一人で立ち向かった偉い人です!! ぼくも一緒に戦いたいんです! 平和に生きたいから!!」


そんな二人の反応に、太公望の表情が変わった。
しかし、次に続く武吉の口調も、弱々しく変わる。


「でも……それも出来なくなってしまいました…ぼくは明日死にます。もう覚悟は出来てるんです。…でも、老いて病弱な母を一人残すと思うと…この先、お母さんはどうやって…」
「「………」」


再び武吉の目に浮かぶ涙。
それを見て、顔を見合わせた道士二人の手には、自身の宝貝。


「まったく…放っとけんのう!」
「元々その為に来たんでしょ!! さてっ、じゃあ…」


が煽鉾華を鉾型に変形していると、太公望は、既に打神鞭に力を籠め始めていた。


「…あぁっ! ちょっ、望ちゃ…」


気付いたが止めようとしたが、時既に遅し。

――ドゴッ、という景気のいい音が、静かな豊邑に響き渡った。








「全く、望ちゃんってば…煽鉾華使えばもっと静かに出来たのに…静かな夜に近所迷惑でしょ!? それに…」
「ええい、逃げてしまえば同じことだ!! …というか望ちゃんという呼び名で説教はやめい!! …まるで普賢がいるようだ……」
「だって普賢の影響だもん」


――武吉を無事に救出した一行。

四不象に武吉を乗せているため、は煽鉾華で彼らの横を飛んでいる。


「でも良かったよ、逃げ切れて…」


はぁ、とこれ見よがしに溜息をつくに、太公望はそっぽを向いて微かな抵抗を見せる。


「でも御主人、さん…このヒト、脱走犯になるっスよ?」
「…大丈夫よ、多分!」


心配そうにを見つめながら言う四不象。
そんな四不象の頭を撫でながら明るく答えるに、太公望も同調する。


「ああ。それはわしが何とかする! 武吉……こやつに罪人は似合わぬよ!」
「…もう策はあるんだよね? もちろん」
「さあのう…」


二人の優しい視線の先では、武吉が安心しきった顔で眠っていた。




<第11話・終>


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