と天化が戦線離脱した後、崑崙組はなおも苦戦を強いられた。
太公望の策もあって、一時戦況は好転したものの、雷震子は翼をもぎ取られ、ナタクは腹に風穴を開けられ戦闘不能に。

この残酷な敵の前に、酷く痛めつけられて倒れていく仲間達。
楊ゼンの怒りはピークに達していた。


「魔家四将よ……僕をあまり怒らせるな……抑制がきかなくなる」










第44話
 ―静かな闘志










静かに怒りの炎を燃やす楊ゼンが発する、禍々しいまでの威圧感。
一対三と圧倒的優位に立っているはずの魔家四将は、その強大さに思わず息を飲んだ。
そんな中、礼紅はそれを振り払うかのように鼻で笑い、楊ゼンに向かって足を踏み出す。


「はったりを言うな! キサマなど、吸収した仲間の力で灰にしてくれる!!」


彼が手にした混元傘が、発動を前に光を放ち始める。
――その光が一度瞬いた、その瞬間。


「……疾ッ」
「!!!?」


複数の音が風を切り、続いて鈍い音が豊邑の曇天に響く。
靄に隠れて動く新たな人影に、その場の全員の視線が集まった。


「誰だ!?」
「っはー……とりあえず今はこんなもんね……後は任せるよ」
「あぁ……あーたはコウモリと宝貝人間を頼むさ」


靄の中心部から生まれた一陣の風によって、さあっと音を立てて視界が開ける。
離れて状況を見ていた太公望と武成王の目に入ったのは、頭部から血を流し、膝を付く魔家四将の三人。
中でも、礼紅の背には複数の光る物が刺さり、礼青は脇腹と背中からも出血している。
そして、そんな中、背中合わせで立つ、二つの人影。


「む!!!?」
「おおっ……!!!!」
「……あのまま終われるわけ無いもんね」
「ああ……俺っち達、こう見えても負けず嫌いでね……再戦さ!!!!」


――二人の瞳に湛えられているのは、明らかに普段と違う、強く鋭い光。





「天化くん……も……もう傷は平気なのか!?」


音も無く自身の背後に降り立った二人に、楊ゼンはちらりと視線をやりつつ声を掛ける。
は天化に軽く目配せすると、楊ゼンの前へと軽快に歩み出た。


「へーきへーき。心配かけてごめんね!」
……キミは……」
「だーいじょぶだって。じゃ、私は雷震子とナタクのとこ行ってくるから、後よろしくね」


楊ゼンに二の句を継ぐ隙を与えず、は雪月華を飛行型に変形させ、負傷組の元へと飛び立つ。
そんな姉弟子を視線だけで見送った後、天化は礼青から目を離さずに口を開いた。


「……楊ゼンさん……この剣士は俺っちがやるさ!!」
「(……あれだけの大怪我だ。平気なはずが無いんだけど……)」


平然と振舞ってみせる紫陽洞姉弟を見て、楊ゼンは暫く黙りこむ。
それでも、彼らの瞳に宿る強い光を見てか、了承の返事を返して、礼紅・礼海に向き直った。





「お師匠さま、さんと天化さんが戻ってきましたよっ!!!!」


少し離れた城壁の上から、戦いの様子を見ている武吉と太公望。
しかし、歓声を上げて跳ね回っている武吉とは対照的に、太公望の表情は明るくない。


「うーむ……」
「どうしたんですか!! もっと喜びを体全体で表現してくださいよっ!!!!」
「たしかにナタクと雷震子が壊れた今……戦力が増えるのは喜ばしい事だが……」
「そのナタクと雷震子、連れてきたよ」
「「……(さん)っ!!」」


普段と何ら変わらぬ軽快さで、太公望たちの前に降り立った青い人影。
先程まで大怪我をして気を失っていたとは思えない彼女の姿に、太公望は驚きを隠せない。


! おぬし……っ」
さんっ、大丈夫ですか!?」
「んー、大丈夫! 出血自体は最初っから止まってるし、増血剤貰ったから」
「しかし……!!」
「大丈夫ったら大丈夫!! ちゃんと体力回復もしてきたんだから。望ちゃんも心配性だねぇ……」
「………」


背負っていたナタクを降ろし、飛行型雪月華に括りつけた布包みから雷震子を出しつつ、は平然と答えを返す。
雪月華を分解し、双輪雪を手に二人の治療を始めた彼女の手際は、普段と変わらぬ鮮やかさを保っている。
不調を見せていない今、彼女を問い詰めても無駄だと悟った太公望は、その視線をから天化へと移動した。
彼は眉根に皺を寄せつつ、武吉に向けた言葉の続きを紡ぐ。


「……天化の傷は治っておるまい。あやつ……いや、こやつらは、気力だけで立っておるのだ……」


上空を見据えつつ、ちらりとにも視線をやるが、彼女の視線は双輪雪から僅かも動かない。
そんなを見て、太公望が思わず溜息をついたその時。


「その通りだっ!!!!」
「「!!!!」」


――城壁の後ろに、巨大な丸いシルエットが浮かび上がった。


「天化は私から教わった闘争心だけで戦っているっ!! 戦士に必要なものっ、それはガッツだっ!! ファイトだっ!!!!」
「道徳真君!!!!」
「げっ、コーチ……!」


腹の底から響かせた大声に、二人は揃って声の主を振り返る。
巨大な丸いロボット――黄巾力士の上で右腕を掲げていたのは、と天化の師、清虚道徳真君だった。


「やあっ、太公望!! 千年ぶりだねっ!!!!」
「いやコーチ、望ちゃんまだ二桁だから!」
「!」


反射的に突っ込みを入れたは、直後、自らの口を両手で塞ぎ、城壁の影に隠れるように座り込む。
の行動に太公望が首を傾げていると、スタッ、という軽い音を立てて道徳も城壁に下りてきた。
道徳は自分の足元で縮こまっているを見ると、溜息を吐きつつ屈んで視線を合わせ、太公望を気にしつつ小声で耳打ちする。


……やっぱり降りて来ていたか。は天化より重症なんだぞ!?」
「うっ……そ、それは、あのまま血が足りてなかったら、でしょ? 増血剤貰ったし、出血止まってるし……」
「それでも、本当はまだ安静にしてなきゃならないのに……」
「でも、もう動けるのにジッとなんてしてらんない! お願いコーチ……無茶はしないから……!」



必死で懇願する愛弟子に、道徳はじっと視線を合わせる。
それでも、の真剣な眼差しは逸らされず、宿る光も弱まりはしない。

――よちよち歩きの頃から知っている、自分達の大事な娘。その性格はよく分かっている。
確かに、言われた通りに安静にしていたら、雲中子の診断以上の重症ではないだろうかと逆に心配するところだ。


「(……この子も同じ失敗を二度繰り返す様なことは無いからな……大丈夫か)」


道徳はもう一つ溜息をつくと、の頭をぐしゃぐしゃと撫でる。
最後に一言、「無理するなよ?」と念を押すと、立ち上がって太公望たちに向き直った。

太公望は黙って師弟のやり取りを見つめていたが、二人の会話が終わったのを確認すると、ゆっくりと口を開いた。


「道徳、やはり天化の傷は……」
「痛み止めの薬を与えて傷の縫合をしただけだ」
「ならばおぬしが戦わぬか!! 本当に十二仙はあたまでっかちの集まりかい!!!!」
「それは無理だよ……」


食って掛かってきた太公望に、道徳は力無く首を振る。


「我々十二仙がでしゃばれば、金鰲十天君も出てくる!! そうなったら人間界はメチャクチャだ! それはいけない!!」
「――とか何とか言って本当は怖いだけなのでは……」
「……ううん、ダメだよ……」


太公望の呟きに、は真剣な面持ちで声を漏らす。

まだ若いにとっては、話に聞いただけの存在である金鰲十天君。
それでも、力ある仙人たちが人間界に降りてきた場合に起こりえる状況は、容易に想像が付く。
今既にメチャクチャにされている豊邑の街を見下ろし、はぎゅっと胸を押さえた。

そんな彼女の内心を知ってか知らずか、道徳は武吉の肩を抱き、元気に天化に声援を送る。


「ドンマイ天化! ガンバでーす! ファイトでーす!!」
「コ、コーチ……ガンバとか死語だよー……」


苦笑気味に師を見やるだが、その明るさに却って元気付けられたのか、表情を改めてナタクと雷震子に向き直る。
気持ちを切り替えて治療を再開した彼女を一瞥した太公望は、その視線を上へと向けた。


「しかし……天化の内にあれほど激しいものがあったとはのう……の仕返しにも驚いたが」
「……私は、やられた分はやり返すよ?」
「………」


小さく漏らした太公望の言葉に、は視線をナタクと雷震子に向けたまま、淡々と答える。
珍しく険のある声音に、太公望はぴくりと片眉を上げた。
未だナタクと雷震子の治療を続けているは、双輪雪は停止させ、鞄から出した包帯で二人の傷を巻いている。


「特にあの剣士には五倍返し位したかったけど……天化の分も取っとかなきゃだし、今は諦めただけ」
「むぅ……」


整った横顔に一際目立つ、怪我人に向けられている瞳には似つかわしくない、天化のそれと同じ、強く鋭い光。
普段は手合わせや稽古、その上敵と戦うときでも、比較的柔らかい表情を浮かべているこの娘。
それでもやはり道徳の弟子、戦士系の道士だな――と、太公望は改めて思う。

難しい顔をしてと天化を交互に見やる太公望を見て、道徳が口を開いた。


「太公望。キミの知る二人がどんな人間かは知らないけど、オレの知るは、筋金入りの負けず嫌いで、相手が男だろうと何だろうと、
勝てるまで何度でも挑んでいく子だよ」
「………」
「それに天化も、激しい気性と闘争本能に溢れた、強い戦士だっ! ……さっきもそうだった」










――時間は今より少し前。崑崙山脈の青峰山。

いつものように筋トレをしていた道徳が、自身の元へと向かってくる一羽の霊獣に気付いた。
良く見知ったその姿に、彼はぶんぶんと腕を振って声を上げる。


「やあっ、宛雛! 久しぶりだなっ!! どうしたんだ?」
「道徳……主様と天化が今こちらへ向かっている。二人とも酷い怪我で、人間界から戻ってきた」
「なっ、何っ!!!?」


思わぬ急な知らせに目を見開く道徳。宛雛はあくまで冷静に話を続ける。


「もう間もなく、哮天犬に乗って到着する。主様は出血自体は止まっているが、血を流しすぎた。着いたらすぐ主様用の増血剤を。
天化は関節を酷く斬りつけられている。痛み止めと縫合を」
「なんだって!? 大丈夫なのかっ!!!?」
「適切に治療を施せば、命に別状は無い。道徳、主様は意識を失っているが、それは我が施した睡眠効果だ。……取り乱すなよ」
「お、おう……分かった!!」


宛雛に急を告げられた道徳は、慌てて洞府に応急処置用の薬類を取りに戻る。
必要な物を揃えた丁度その時、外から響いた犬の鳴き声。
洞府から飛び出した道徳の目に入ったのは、大きな白い犬の足元に見える、愛弟子たちの漆黒の髪。
予想を超える満身創痍な二人に、道徳は思わず声を上げて駆け寄った。


「……っ! !! 天化!!!!」


は昏々と眠っており、普段から白い顔が更に血色を失っている。
師の呼びかけにうっすらと瞼を上げた天化は、道徳に気付くと、酷い痛みに呻きながらも這って進もうとする。


「コーチ……傷を治してくれ……すぐ戻らなきゃ……」
「何だって!!!?」


戦意を喪失していない天化に、道徳は思わず言葉を失う。

じりじりと身体を動かす天化は、自分の横で未だ意識を失ったままのに視線をやる。
青白い顔と対照的に、真っ赤に染まり、至る所が斬られたカッターシャツ。
出血は止まっているが、深く痛々しい傷跡が残ったままの身体。
浅い呼吸を繰り返す彼女に伸ばした腕は、一向に言う事を聞かず、その場で僅かに震えるだけ。

――ぎゅっと閉ざされた瞳が開かれたとき、そこに宿るは鋭い光。


「……俺っちは負けらんねぇさ……負けねぇ……負け……ねぇっ!!!!」










「天化は……あの子は生まれついての戦士なのかもしれない。たとえ勝ち目がなくても戦おうとする」


つい先程の愛弟子達の様子を思い返し、道徳は遠い目をして天化を見やる。


「一応、が昔使っていた莫邪の宝剣と、『鑚心釘』を与えたが……。それに、も……」
も?」
「……いや、」


不意に途切れた師の台詞に、応急処置の終わった二人を黄巾力士に乗せていたの手が一瞬止まる。
そんなを気にしつつも太公望は先を促すが、道徳は小さく首を横に振った。


「何でもない……この子は大丈夫だ。しかし……天化は……あの性格が、いつか命とりにならないかと心配している……」
「……コー、チ……?」


穏やかでない台詞に、の顔に不安気な表情が浮かぶ。
道徳はそんなの頭に手を置くと、何とも言えない表情で、を見て、太公望を見て、天化を見上げて、もう一度と目を合わせる。
視線の高さを合わせて屈んだ彼は、の眼を真っ直ぐ見据えて、小さな声で呟いた。


「……、やんちゃな弟弟子だけど……天化を、しっかり見ていてやってくれよ?」
「え……?」


言い残して顔を上げた道徳を、は弾かれたように見上げる。
その声音に潜む心情を察して、言葉の意味を視線で問いかけても、道徳はそれ以上何も言わなかった。




<第44話・終>

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あとがき