「…あ、いたいた…おーい、雲ちゃ〜ん!! …ってあれ? 先客??」


乾元山を飛び立ったは、程なくして終南山の上空へとたどり着き、目的の相手を発見した。
珍しく洞府の外にいる雲中子の背中越しにちらっと見えたのは、には見覚えのない人影。
その人の宝貝だろうか。真っ黒な翼が付いているように見える。


幼い頃から煽鉾華で崑崙中を飛び回っていたので、殆どの仙道と知り合いであるはずのは思わず空中で停まり、「…誰だろ?」と首を傾げた。
しかも先客と雲中子は仲良く喋っているというより、先客が一方的に雲中子に向かって怒鳴っているように見える。


「ん〜…とにかく、もっと近づかなきゃ分かんないよね…よしっ」








第5話
 ―崑崙広しといえども…。








「…オレ様はもうそんな怪しいモンは口にしねぇ! 自分の力で強くなってオヤジを助けるんだ! 普通の修行しやがれ! 普通の!!
「そういう文句は飲んでみてから言えばいいのに…」
「飲んでからじゃ遅ぇだろーがぁ!!」


会話中の二人の少し後方に、は音もなく軽やかに着地した。
二人ともに気付く様子は無く、相変わらず先客の一方的な怒鳴り声が聞こえてくる。
は、会話が終わるまで待っていようか…とも思ったが、見覚えの無い、ここからはいまひとつ顔の見えない先客も気になる。
暫くは離れて様子を見ていたが、待っていても終わらなさそうだ、と悟ると、二人のもとへと近付いていく。


「…雲ちゃん、お客さん??」


雲中子の後ろからひょこっと顔を出したに、先客と雲中子の会話が止まった。


「…! 久しぶりだねぇ。いつ帰ってきたんだい?」


後ろを振り返り、の頭をポンポン叩く雲中子。突然の訪問にも驚く様子はない。
しかしは雲中子への返事もそこそこに、漸くはっきり見えた先客の顔をじっと見つめる。
先客の方も同じく、何かを思い出そうとするように、眉間に皺を寄せながらを見つめている。

――暫く続いた沈黙を破ったのはの方だった。


「…ああっ!! もしかして雷震子!? うっわぁ〜、何年振りだろ〜!?」
「おおっ!! お前やっぱりあのか!! 久しぶりだな!!」
「ホントだよ!! 懐かしーっ!!」
「おわっ!!」


先客が数年前に仙人界から突如いなくなった知り合いだったことに驚く。思わず飛びついて再会を喜ぶ。
雷震子の方も、かつてこの洞府によく遊びに来ていた少女が、暫く彼女だと分からなかったほど成長していた事に驚いている。

…抱きつき癖は彼女の育ての親たちのせいで相変わらずだが。

昔とは違う感覚に、雷震子は柄にも無く真っ赤になる。
そんな雷震子の様子に気付いた雲中子が、ニヤニヤしながらの襟首を掴み、「ほらほら…」と雷震子から引き剥がしてやる。


「そういえばお前たちは知り合いだったねぇ…何ですぐに気づかなかったんだい?」


自分の弟子とを見比べながら言う雲中子。
雷震子を弟子に取る前からはこの洞府に出入りしていたし、弟子にとってからもよく来ていた筈なのだが。
うーん、と唸る雲中子に、は雷震子の後ろに回って翼を観察しながら答える。


「そりゃー…この翼に…肌も赤黒くなってるし。ぱっと見分かんなかったよ…。ってか雷震子が仙人界降りちゃったのってコレが原因でしょ雲ちゃんっ!! 今回は時間制限無いの!?」


は雲中子に詰め寄るが、対する雲中子は得意満面に語りだす。


「ふっふっふ…凄いだろう!! ついに時間制限なしの、完全な改造人間実験が成功したんだ!! この翼は雷と風を発生させることができるのだ!!」
「えぇぇ!? 雲ちゃんってば何やらかしてんのっ!?」
「え、も食べたいのかい? に色黒はちょっと似合わないと思うけどねぇ…」
「いりませんっっ!! 私は時間制限ありのお遊びのやつで十分だからっ!!」

「…時間制限??」


先程から何度か出てくる聞き慣れない単語に、雷震子は首を傾げる。
その間にもは雲中子に何やらぎゃあぎゃあ言っている。
一通り騒ぐと二人の会話は落ち着き、やがて雲中子が洞府の中に入っていった。
訳がわからない、という顔でその様子を見ていた雷震子の傍に、が戻ってくる。


「はあぁ…まったく雲ちゃんってば見境ないんだから…あ、ごめんね雷震子。放ったらかして騒いじゃって……」
「いや…いーけどよ…それより、時間制限って何だ?」


そう問う雷震子に、は「あー…」と一度雲中子の行った方向に目を向けると、雷震子に向き直る。


「雲ちゃんって昔っからヘンな果物作ってて…私も何度も食べたことあるんだよね。蜜柑食べたら猫耳生えたり、梨を食べたら幼児化したり…桃で天使の羽みたいなの生えたコトもあったなぁ…。
でもそれは全部2〜3時間とか、もっても3日だったんだけど…雷震子が食べたのは、完全に体質変化させちゃうやつだったみたいだね〜…」
なっ…! そんなに色々食ったのかよ!?」
「そー。しかもコレはほんの一部!…最初はハメられてたんだけどさ、割とすぐ効果が消えるって分かってからは、私も結構面白がって食べてたよ」


くすくす笑って言うに、雷震子は信じられない、という表情。
そんな二人のもとに、雲中子が大きな紙袋を持って戻ってくる。


「ほら。頼まれたものは全部入れておいたよ」
「あ、ありがとー雲ちゃん」

「…今度は何なんだよ……」


ごそごそと袋の中身を確認するの後ろから、雷震子が顔を出す。
覗き込んだ雷震子の目に入ったのは、大量の、鮮やかな色のついた液体の入った瓶、薬草のようなもの、粉末の入った袋など。

…見るからに怪しい。


「うげぇ…これ、ヤバくねぇのか!?」


袋の中から、見たことも無い色をした薬草をひとつ取り出し、まじまじと見つめる雷震子。
その背後で雲中子は「失敬だなぁ」と呟くと、再び洞府に引っ込んだ。
そんな師弟を笑って眺め、は雷震子から薬草を受け取る。


「こんなモン、何に使うんだよ…?」
「薬作るの」
「こんな怪しい色のでか!?」


今度は試験管を手に取り、振ってみながら問う雷震子。
中身は七色に色づいている液体。しかも少しドロドロしている。


「こんなん薬にして大丈夫なのか!? あのバカ師匠の作ったモンだぞ!?」
「調合は自分でやるから大丈夫! しかも長年の経験で、本当にヤバいのは持って来た時の雲ちゃんの声とかで分かるし…。ってか雷震子、今まで杏以外はヤバいもの食べたこと無かったの?」
「あ、あぁ…まぁ…」
「そーなんだ…あー、でも、普段のはヤバいって言っても、そんなに害は無いものばっかりだからそこまで警戒しなくても大丈夫だよ!」


ここまであっけらかんと言ってのけるのは、崑崙の中でもくらいのものだろう。
雷震子はの言う『長年の経験』に、自分が仙人界に居なかった間に何があったのか考えて恐ろしくなった。
は雷震子が横で鳥肌を立たせているのにも気付かず、鞄の中から巾着型宝貝を出し、紙袋ごとその中に入れると、右手に持ったままだった煽鉾華に再び腰掛ける。


「さてっ、じゃあちょっと早いけど今日は…」
「お? 、もう行くのかい? 昼ご飯食べていけばいいのに…」


煽鉾華を発動させようとしていたは、さっきとは違う何かを持って洞府から出てきた雲中子の意味ありげな声にビクッと肩を震わせた。
少し引きつった笑顔で振り返ると、腰掛けた煽鉾華を宙に浮かばせながら答える。


「…ま、まだ昼にはだいぶ早いよ? それに私、明日からは普通に修行始めるから、今日中にみんなのトコ回らないとだしっ! …またゆっくり来るから、今日は遠慮するよ。
そうだ! 雷震子、私が今度来たときは手合わせしよーね!」


雲中子は自らの手に持つ何かに視線をやり、少し残念そうな顔をしたが、に「じゃあ、またおいで」とだけ言うと、不敵な笑顔を浮かべ、また洞府へと戻っていった。
は残された雷震子の上空で煽鉾華に座りなおすと、飛び立つ前にもう一度声を掛ける。


「今みたいなのがヤバい時の声。今日の昼ご飯には気をつけたほうがいいよ…今回のは時間制限あるやつだと思うけど」
なっ!? …っ、オレ様を置いて逃げる気か!?」
「ごめんね雷震子、今日は無理っ!! 皆のとこ回れなくなっちゃうかもしんないしー…」


ホントごめん、とは空中で手を合わせて謝ると、「じゃー、また来るねー!!」と言い残し、煽鉾華を発動させて飛び立った。
…雷震子が何やら叫ぶ声が聞こえたような気がするが、今日は気にしないことにする。





「…あれでも雲ちゃんなりの愛情表現だからね…雷震子も弟子なら慣れなきゃ!!」


玉柱洞を見下ろせる位置でいったん煽鉾華を空中停止させたは、数十分後の雷震子を思い、静かに合掌しつつ独りごちた。


「…さて、次行きますか!」




<第5話・終>


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あとがき