――西岐の中心地・豊邑。








序章
 ―はじまりは、人間界。








一人の少女が、家の窓から外を眺めていた。
景色を、というわけではない。
広く、晴れ渡った空を。

…というよりも、その先を。


窓から入ってくる風に、少女の藍色の髪が靡く。
髪が乱れる事などお構いなしに、少女はその髪と同色の瞳で、相変わらず空の先を見つめている。
空を映す瞳はまっすぐで、その整った顔立ちにはまだ少々あどけなさが残っている、その少女。


時刻は間もなく辰の刻。
少女の視線は一瞬床に達してきた日の光に移り、外の青桐の木へと移るが、またすぐに空の先に向けられる。


「…そろそろかな」


少女が小さく呟いた、丁度その時。
家の扉が、コンコン、という音に合わせて振動する。


「ん?」
ちゃ〜ん! 俺だけど〜!!」
「…あ、はいは〜い! 今開ける〜!」


どうやら見知った訪問者のようだ。
呼ばれた少女…は、手に持っていた茶器を窓辺に置き、もう一度だけ空に視線を向けると、訪問者の待つ玄関へと向かった。
ガラガラと音を立てて引き戸を開けると、目の前にあったのは、ここ3ヶ月ほどほぼ毎日見ている顔。


「おっ、おはようちゃん! 今日も可愛いぜっ!」


訪問者は戸が開くやいなやに飛びつくが、対するは慣れた顔。


「はいはい、ありがとー…朝から来るなんて珍しいね〜。わざわざ取りに来てくれたの?」
「ああ! 近くまで来たからな。できてるか?」
「もっちろん! 今日届けに行くつもりだったんだけど…ちょっと待ってて〜」


は一旦家の中に入ると、程なくして小さな紙袋を手に外へ出てきた。
袋を開けて中身を確認する。中に小さな丸薬がいくつも入っているのを見ると、頷いて袋の口を閉める。


「はい、コレだね」
「サンキュー! ちゃんの薬はすげー効くからな!」
「…コレがあるからってまた飲みすぎちゃダメだよ〜? てかそれ以前に未成年だし」


笑顔で受け取る少年に、笑顔で釘を刺す
少年は「うっ…」と苦笑いすると、慌てて話題を変える。


「…そ、そぅいや、届けに来てくれるつもりだったってことは、今日配達の日か? 手伝うぜ?」
「え、本当? 助かる〜! 今日は特に多くてさ…荷車に山積みなんだ。ほらコレ」


そう言うの隣には、壺やら箱やらが大量に乗った荷車。


「…こりゃ一日掛かんじゃねぇか?」
「まぁね…」


軽く手伝うなんて言ってしまったことを少し後悔した少年。
しかし言ってしまった上、いくらこれがの仕事とはいえ、こんな大荷物を女一人で運ばせる訳にはいかないと思い直し、溜息を一つついて荷車に手をかける。


「…しゃあねぇ、行くかっ! ちゃんには世話になってるしな!」
「ありがと! じゃあ今回のお代、半額にしといてあげるよ」
「おお! そりゃ助かるぜ!!」
「くすっ、なんせ借金王だもんね〜?」
「うっ…」


返す言葉に困っている少年をくすくす笑いながら、は荷車の後方に回り、全体重をかけて押し始めた。
少年もそれに気付き、荷車の取っ手を引く。

こうして二人はがらがらと大きな音を立てながら、街の中心部へと向かった。








時刻は変わって申の刻。
ようやく全ての薬の配達を終えた二人は、の家まで戻って来た。


「おっし! 荷車もしまったし、これで終わりだな」
「ありがと! 助かったよ〜。お礼にさっき貰ったお茶でも飲んでって! お菓子もいっぱい貰っちゃったし」
「いいのか? んじゃお邪魔〜」





貰ったお茶とお茶菓子を楽しみながら、二人は暫く他愛も無い話で盛り上がった。
そろそろお茶菓子も底をつき、陽も傾きかけてきた頃、が思い出したかのように話を切り出した。


「ねぇ、唐突なんだけどさ…私、そろそろここ出ようと思ってるんだ…」
「…えぇっ!?」


突然の話に少年は思わずお茶を噴出しかける。
は苦笑して「大丈夫?」と尋ねたあと、しんみりした顔に戻って話を続ける。


「居心地いいから、つい予定より長居しちゃったけどね」
「んな急に…」
「一応目的ある旅だからさ〜…」
「……そっか…どうせもう決めちまったんだろ? ちゃんのことだから…止めても無駄だよな…。うあぁ〜…寂しくなるぜ…いつ出るんだ?」


そう問われたは何故か窓際に目をやる。
窓際の今朝置いた茶器の中には、家を出るまでは無かった真っ青な羽が一枚。
それを確認したは、視線を再び目の前の少年に戻す。


「…今夜か明日の早朝かな?」
「ええっ!? …全く、いつ決めたんだよ〜…水臭ぇな〜…」
「ごめんごめん…あ、でもここには多分、また戻って来るよ。そのうちひょっこり」


正面から穏やかな笑顔を向けられ、少年は一瞬顔を真っ赤にしたが、その言葉に少年の顔にもまた笑顔が戻った。


「…そっか。絶対また来いよ!」
「うん! …今度会った時にもちゃんと覚えててくれたら、私の正体教えてあげる!」
「こ〜んなド級ぷりんちゃん、忘れたくても忘れられるワケねえだろ!! …ってか正体って何だよ!? 行商人じゃねえのか!? …まさか…実はどっかの姫様だとか?」
「さあ、どーかな? その時まで秘密〜!」
「ちぇ〜…」


少しふて腐れたような仕草を見せる少年。
はその顔に再び笑みを宿しながら、立ち上がって茶器を片付け始める。
そんなを見て少年もそれに倣い、「随分長居しちまったな」と自分の茶器を片付けだす。


「…んじゃそろそろ仕度しなきゃ」
「そっか…見送りできなくて悪いな」
「私が急に決めた事だし。そのうち戻って来るからそんな大袈裟な事しなくていいよ〜」


外に出てみると陽はすっかり落ちていて、見上げた空はの髪と瞳の色。


「はぁ〜…本当に明日から居ねぇのか…?」
「うん…最後の日にゆっくり喋れてよかったよ。今日はありがと! 薬代はツケといてあげるから、私が戻って来た時に払ってね!」
「うっ…相変わらずしっかりしてんな〜!! …じゃ、またな! ちゃんと取りに来いよ!」
「もちろん!! これ以上借金増やしちゃダメだよ〜?


…じゃあまたね、発っちゃん!!」




彼女が少年と再会するのは、数年後のことになる――。




<序章・終>


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あとがき