人間界の遥か上空。
ここ、仙人界で、一人の老人が、一人の少女の帰りを待っていた。


…そろそろこれを渡す時がきたようじゃな…。おぬしが仙人界に来てから、早十数年…漸く完成した、この宝貝をのぅ…」





丁度同時刻のこと。
人間界と仙人界の狭間を、青い鳥が大きな荷物を持ち、常人には見えないほどの速さで飛んでいた。
青い鳥は、霊獣に乗った一人の道士と擦れ違う。


――ほんの、一瞬の出来事。


道士は、青い風を見送りながら呟いた。


「見ましたか? 黒点虎。……あの娘が例の生き残りですね。まさか宛雛を手懐けているとは…」
「え? 何のこと??」
「今の青い風ですよ。…面白いことになってきました。黒点虎、禁城へ飛んでください。妲己にも教えてあげましょう…。


――崑崙幹部秘蔵の姫が漸く出てきた、と」








第1話
 ―『超重要任務』、完了!








「元始天尊さま〜!!」


バサバサという羽音と共に、白鶴童子の声が静かな玉虚宮に響く。
普段のように下界を見下ろすわけでもなく、玉虚宮の真ん中に佇み、目を閉じていた元始天尊は、白鶴の声に静かに目を開けた。


「どうした、白鶴よ」
が…」


白鶴の声は何者か…白鶴より大きな羽音を立てて飛ぶ何者かによってかき消された。
しかし元始は聞き取れた最初の一言とこの羽音で用件を理解したようで、音のする方へと歩みを進める。


――ストッ、という軽い着陸音と共に元始の前に現れたのは、彼が帰りを待っていた少女だった。


「元始天尊さま!! 、人間界での任務を終え、只今無事に戻りましたっ!」


降り立った少女、
藍色の髪を風に靡かせ、頭を垂れ、元始天尊の前に膝をつく。
その横では、跪いたよりも少し大きな、真っ青な鳥が空中に留まっている。


「おぉ、ご苦労じゃったの。宛雛も、何度も往復させて済まんかったな」


跪いたままのを労う元始。その横で空に留まっている青い鳥・宛雛にも声を掛ける。
宛雛はその視線を一応元始に向けると、素っ気無い態度で口を開く。


「元始の為ではなく、主様のためだからな」
「え、宛ちゃん……」
「ほっほっほ、相変わらずよのう」


思わず顔をあげて半分立ち上がったの細い肩に、ポンッという音を立て、元の3分の1程の大きさになった宛雛がとまる。
しかし仮にも崑崙山の総統の前。その上、いつもならともかく、今は正式な場だ。まだ何も言われていないのに勝手に立つのは良くない。
はあちゃー、という顔をして再び膝をつこうとするが、元始天尊は「よい、よい」とゆったりとした口調で声を掛ける。

それなら、とは立ち上がって正面から元始を見据え、腰に付けた青い鞄から小さな巾着袋を取り出す。
床に片膝を付いておもむろに袋の口を開け、袋を静かに逆さまにすると、中から大量の巻物が溢れ出した。


――軽く三桁はあるその本数を見て、元始と白鶴は硬直した。


「…人間界での調査の結果は、全てこれらの巻物に書き記してありますので」


涼しい顔をして言うに対し、元始の顔は更に引きつる。


「お、おぬし…説明が面倒だからといって…わしにこれを全部読めというのか?」


少々黒いオーラを発しながら問う元始。
しかしは、崑崙総統の威圧感にも全く怯む様子がない。
むしろ、この反応は予想通り、とでも言いたげな表情を浮かべる。


…思い起こせば3ヶ月前、かなり大袈裟に彼女に言い渡された『超重要任務』は、なぜか思いのほか…というより、拍子抜けするほど簡単だったのだ。

「(散々脅されて煽鉾華持ってくのも禁止で、暫くは必要以上に神経使ってたんだから! これぐらいの仕返しは可愛いもんだよね? 元始のじーちゃん!!)」


少し間を空けた後、は男なら誰でも黙ってしまうと噂の、極上の笑顔で元始に切り返す。


「口頭での説明より、巻物の方が後々便利でしょう? 忘れちゃっても見直せますし? …なんせ『超重要任務』の報告書だし。ねー宛ちゃん?」
「まぁ…元始の事だ、その方がいいだろうな」
「うっ…宛雛、お前まで…」
「我は常に主様の味方だからな」


そう静かに言い放つ、の肩にとまる霊獣…宛雛は少々特殊な鳥だ。
青桐の木にしか羽を休めず、竹の実でなければ啄ばまず、甘露の水しか飲まない、という鳳凰の一種であるこの鳥。
そういう性格上、自分が認めたもの以外には割と冷たいが、一度認めたものには全力で尽くす。


「(こやつ…この笑顔も宛雛との関係も何もかも…無自覚で作り上げとるからタチが悪いわい……)」


――そう、は自分の凄さを全く分かっていない。
この気難しい、青桐にしか羽を休めない鳥が肩にとまる程懐いていること…幼さが残るとはいえ、崑崙でも有名なその整った顔立ち…年の割に傑出している、仙道としての能力。

「(それに加え…あの力。未だに周りも本人も気づかぬ程度だが、計画に参加すれば徐々に目覚め出すであろう…時が来れば、十二仙にも教えておかねばな…)」


元始の意識は既に玉虚宮には無いが、視線は自然との額の紋章へと向いている。
水色の、細い三つ葉のクローバーのようなその紋章。

「(一族でも過去に無い潜在能力、か…)」


「…元始天尊さま?」


白鶴が、何やら考え込んでいる元始をこちらの世界へ戻そうとする。
声を掛けられ思考を中断した元始は、目の前で困惑しているや宛雛、白鶴を見て、「…おお!済まぬ…」と慌てて話を再開する。


「そ、そうじゃ、おぬしもそのうち太公望に合流し、封神計画に参加してもらう事になる。…よって新しい宝貝を授ける! 合流前に使いこなせるようになるのじゃっ!!」
「え、本当に!? やったぁ!!」


思いもよらなかった言葉に喜ぶ
元始は袖口から二つの腕輪を取り出し、に見せる。
の額の紋と同じ、水色の腕輪。それぞれに大きさの異なる丸い宝石が三つずつはめ込まれている。


「これじゃ…“気”を操る宝貝、『双輪雪』! 霊気などを吸い取ってその宝石に溜めておける上、溜めた気は怪我の治療など、様々なことに使える…
それにその輪は伸縮自在じゃ。おぬしの煽鉾華と上手く組み合わせて使うがよい」
「そー…りん、せつ…」


うわぁ…と感嘆の声を漏らしながら、は元始から双輪雪を受け取る。
両手に持って光に翳すと、付いている宝石がきらきら輝く。
手に嵌めようとすると、手のひらを通す時に一度大きくなり、さらに通すとの細い手首に合うように小さくなった。
それを両方とも左手に嵌めると、その名の通り、微かに心地よい雪のような冷たさを感じる。
早く使ってみたくなったは、宛雛に元に戻るよう指示を出し、元始に向き直る。


「…ありがとうございます、元始天尊サマっ! それじゃ早速ですが帰って使ってみますっ!!」
「…はぁ!?」


宛雛が自分の横で元の大きさに戻っている間に、は鞄から巨大な布を取り出した。四隅のうち、一組の対角が固結びされている。
大きくなった宛雛が自分の横で空中に留まっているのを確認すると、布の結び目を宛雛に持たせ、自分は輪っか状になった布に腰掛ける。

…さながら風呂敷に包まれて運ばれる荷物のようだ。


「じゃあ失礼しま〜す!! 宛ちゃん、洞府までお願い!」
「御意」


宛雛が大きな羽音を立てると、の足が宙に浮く。
主がしっかり掴まっているのを確認した宛雛は、徐々に羽ばたきを激しくし、ついに玉虚宮を飛び出した。
呆然とその様子を見ていた元始天尊は暫くしてから我に返り、空を行くたちに今更ながら声をとばす。


「こらっ、こんな所から飛ぶでない! 一応謁見の間であるぞ!?」


元始の声を背中で聞いたは、言い忘れていた事を思い出し、振り返って元始に向かって叫んだ。


「その巻物、重要なところは一本だけある赤い巻物に纏めてあるんで! じゃーまた何かあったら呼んでくださ〜い!!」
「…そういうことは先に言わんかい! 赤い巻物!? どれじゃ!? ……って…行ってしもうた…全くあの娘は…


…しかし…あやつなら、必ずや…成し遂げてくれるじゃろうて…


ぶつぶつと呟く元始の横で、白鶴が首を傾げた。




――風と共に舞う、華の化身のような少女の物語。

物語の幕は、既に開いている。




<第1話・終>

あとがき