――昨日より今日、今日より明日。

ひとつ、またひとつ、いつの間にか、気付かないうちに。
『それ』は、足音を忍ばせつつ、近付いて来ている。

今年も、また。


そして、きっと、多分、……願わくば――。








桃紅柳緑








「…はいっ、じゃあ今日の訓練はここまでねー。お疲れ様!」
「「「「有難うございました!!」」」」


誰の耳にも心地良く響くソプラノの後に、野太い声の大合唱。
自分の発したそれの数倍で返って来た声量に、ソプラノの主は、少しだけ、苦笑い。


「っはー…何度やっても慣れないわねー……」
「お疲れさんさ、
「…天化。お疲れー」


――西岐の城の一角に位置する、だだっ広い訓練場。
隊列を崩し始めた兵士達の波の中に、規定の装備を身に付けていない若者が二人。

崑崙の道士・と天化。
同じ師の下で剣術を学んだ二人は、ここ、西岐の兵の訓練を任されている。


「…最近、兵士の集中力…ちょっち落ちてねぇさ?」
「あ、やっぱ天化もそう思った? だから今日は早めに切り上げたのよ。明日も休みだし、これでリセットできれば良いんだけどね」


今の時刻は未の刻。
まだ高い太陽を眺めながら、二人はゆっくりと城への道を歩く。


「春だねー……」
「そーさねぇ……」


うららかな日差しと、心地良い気温。
視線を上げれば、開きつつある蕾。
視線を下げれば、目覚めつつある昆虫達。

新しい季節のはじまり。
…浮き足立ってしまうのは、仕方ないといえば仕方ない。


「あれ、望ちゃんと発っちゃん。…楊ゼンもいる」
「ん?」


城の中が見える位置まで来たは、その視線を城の最上部へ上げる。


「……?」


急に立ち止まったの顔を覗き込む天化。
未だ視線を固定している姉弟子の顔には、悪戯っ子の笑みが浮かんでいた。








「師叙ー…武王ー……いい加減に…」
「そういうおぬしも普段よりダレておるではないか」
「なっ…!! そんなことは…」
「確かにそーだなー…珍しい」


――その頃の、執務室。

仕事の山を目の前に、長い『休憩』をとってダレている太公望と武王。
お目付け役として同じ部屋に居る楊ゼンも、今日は普段より覇気が無い。


「僕のことはいいですから仕事して下さい」
「……どーも気分が乗らねぇんだよなー。……今日は」
「わしもだ。……今日は」
「…貴方達の場合、『今日は』じゃなくて『今日も』でしょう」


しかし、そう言って嘆息する楊ゼンも、その場のダラダラ感に呑まれつつある。
このままでは、堂々巡りで一日が終わってもおかしくない。

そんな楊ゼンが、どうしたものか…と、無意識に外を眺めれば。


「…ねぇ、今日はその辺で切り上げない? 思い切って」


…西岐の城の最上部の、執務室の窓の外。
呆気にとられる楊ゼンの目の前には、煽鉾華に腰掛けるの姿があった。










「わぁ――!! 凄いじゃない!! あんた相変わらず行動範囲広いわねー…」
「でしょー? この時期の西岐で、しかもこの人数で…ってなると、ココくらいしか無いんだから」
「良くやったわ!!」


、これは一体……」


…はしゃぐ女二人と目の前に広がる景色を前に、男性陣は未だ状況を把握しきれていない様子。
太公望の漏らした言葉に、前を行くが振り返った。


「ココまで来たらすることは一つでしょ! お花見よ、お花見!!」


にこっ、と効果音の付きそうな位の満面の笑みを浮かべる
その手には、食欲をそそる匂い溢れる大荷物が握られている。
更に前にいる蝉玉も同じような荷物を抱え、大声で土行孫を呼んでいて。


――そんな二人の後ろにそびえ立つのは、西岐で一番大きい桜の木。
花見には最適な日和の中、この土地のこの時期には少し早く、溢れんばかりに咲き誇っている。


「…最近、皆揃っての休みって無かったし、色々忙しくて…集中力、持たなくなってきたでしょ? 只でさえ、何かとそわそわする時期なのに。
だからさ、今日は思い切って、ゆっくり休憩しよう? 明日は全員休みとってあるから、今から夜通しで大宴会ー!! ……拒否権無しだからねー!!」


はそこまで一気に言うと、前を行く蝉玉に追いつこうと走り出す。
残された男性陣は、漸く彼女らの意図を理解し、思わず顔を見合わせた。


「…成程なー。さっすがちゃん、気がきくな!! 旦にどやされる心配も要らねぇみたいだし、今日は久々にパーッとやっか!!」
「そーさね! たまには休みも必要さ!! 皆も早く来ねぇと、メシ無くなっちまうさよー!!」
「安心して花見できるなんて久しぶりだぜ…!!」


こういうことへの適応能力の高い姫発・天化・雷震子は、すぐに二人の行く方へ駆け出して。


「やったー! お花見お花見ー!! ナタク兄ちゃん、早く行こー!!」
「ム!」
「がっはっは!! 今夜は花見酒だな!!」


…天祥が走り出し、ナタクが連れて行かれ、武成王と黄一族が兵士も連れて後を追い。


「お花見かぁー!! 僕、昔場所取りのバイトしてたことあるけど、こんな所があるなんて知らなかったなぁー!!」
「武吉くん、そんなバイトまでしてたんスか!?」


…周りの動きに従って、武吉と四不象も木の方へと向かう。





「…ったく。あやつ、相変わらず…唐突というか、行動が早いというか、何と言うか…」
らしいですよね。最初は何を言うかと思いましたが…」


そんな中、最初の場所から動いていない人物がふたり。


「結構、周りのことには敏感だからのう…。確かに、丁度ちゃんとした休憩が必要な頃だったかもな」
「そうですね…。僕としたことが、言われるまで気付きませんでしたよ…」


その二人も、互いに顔を見合わせ苦笑すると、既に始まりつつある宴会の場へと足を向けた。








「ちょっとー、あんたちゃんと飲んでんのー!? さっきからお酌してばっかじゃない!!」
「…蝉ちゃん、もう酔ってるし……まだ一本目でしょ?」
「酔ってないわよー!! いーからこっちきて座んなさいっ!! ほら早くっ!! 入れたげるからっ!!」
「はいはーい…」


満開の巨木の下での大宴会。
人数が人数なので、落ち着くまでには時間がかかる。
一応企画者であるは、あっちでシートを広げ、こっちで皿を配り、そっちで酒を注ぎ…と大忙し。
漸くひと段落して戻ってきてみれば、今度は既に出来上がっている蝉玉につかまった。


「最初っからそんな飛ばしてて大丈夫ー?」
「何よぉ、まだまだ序の口よ!ほら、いーからコップ出しなさいっ!! あたしの酌じゃ飲めないっていうのー!?」
「…いやいや、んなコト言ってないし。はい、じゃーお願いしますー」


普段より絡んでくる蝉玉に苦笑しつつ、は大人しく自分のコップを手渡す。
おぼつかない手つきで酒を注ぐ蝉玉を眺めていたは、彼女の足元に転がっている大きなモノに気付いた。


「…ねー蝉ちゃん、それ…」
「んー? ……あぁ!ハニーったらお酒弱いみたいでねー、一杯ですぐ倒れちゃってー! まー私が付きっ切りで介抱するけどーvV」
「………ぎ、ぎぼぢ悪ぃ…」


はいっ、と、中身がこぼれそうな勢いでコップをに渡した蝉玉は、倒れている大きなモノ…もとい、土行孫を抱き起こす。
当の土行孫は本当に相当酔っているらしく、抵抗する様子も見せず、されるがままの状態。
そんな土行孫に、蝉玉はたいそう満足気な様子。


「もーハニーったらー! いつも今日みたいに素直にしてくれればいいのにー!!」
「…だ、頼ぶがら…揺らずだ……」
「あーでもねー、この前のハニーってば凄い可愛かったのよー!! 私がー…」


蝉玉は土行孫をぎゅっと抱きしめ、時折彼の頭をぐりぐりしつつ、どんどん酒を進める。
土行孫の顔色が徐々に青くなっていくのを見て、流石にも心配になってきた。


「ぐえっ……」
「…蝉ちゃん、そろそろやめないと…」
「何よー!まだまだいけるって言ってんでしょー!! ほらっ、あんたも飲みなさーい!」
「お酒じゃないってば!」
「じゃーなによーぅ…ハニーはぁ、誰にもー…、渡さ…ない…ん、だからぁー……」
「…ちょっ、蝉ちゃん?」


あはははは、という高笑いから一転、徐々にその言葉尻を弱くする蝉玉。
土行孫への締め付けは緩み、コップを掲げていた手は下がり、ゆっくりと土行孫ごとの方へと倒れてくる。

咄嗟に支えたは、がくん、と下がった蝉玉の頭を覗きこんでみる。


「……早いってば…。でも…ま、いっか。何か幸せそうだし」


そう言って微笑むの視線の先では、蝉玉と土行孫が仲良く並んで眠っていた。





「あれ武吉、酔ってないんだ? 意外ー…」
「あっ、さんっ!」


蝉玉が早々に潰れてしまった為、飲み相手を探して歩いていたは、思わぬ人物がぐいぐい飲んでいる所を発見した。


さん…ボク、武吉くんには着いていけないっス…」
「どしたのスープー。そんなに飲んだの?」


頬を染め、ぐったりと地に伏せている四不象の隣に腰を下ろす
その正面では、意外や意外。あの武吉が、開いた一升瓶を何本も並べていた。


「僕、利き酒のバイトをしてたことがあるんです!」
「…な、成程……そーきたか」
「こんなに並んでると、匂いだけで十分っスよ…」
「だらしないよー、四不象っ!! ほら飲んで飲んでっ!!」


武吉は四不象をばしばしと叩き、からからと陽気に笑い出す。
一応酔っているであろう武吉に苦笑しつつ、は武吉が差し出したコップを受け取った。


さんも飲んで飲んでっ! このお酒、すっごく美味しいんですよー! 桃の味がしてっ!!」
「桃ー? じゃあ後で望ちゃんにも飲ませてあげなきゃねー」
「お師匠様!?」


太公望の名前を出すやいなや、武吉の顔に輝きが増す。
酒瓶をマイクのように握り締め、うつ伏せの四不象に片足を掛ける。


「ぼくのお師匠さまはー、道士の太公望様ですっ!! 死刑になるはずだった僕とー、病弱な母をー、救ってくれたー、僕の恩人ですっ!!
お師匠さまは凄いんですよー! 『脳ある鷹は爪を隠す』っていう諺はー、お師匠さまの為にあるよーなものなんですっっ!! ねぇさんっ!?」
「ぶ、武吉…」
「く…苦しいっス…!」


大演説を始めてしまった武吉の下では、四不象が小さな呻き声を上げる。
自分の一言のせいで始まってしまったそれを何とか宥めないと…と、は武吉に話を振った。


「ねぇ武吉、私にも喋らせてー! 私が初めて望ちゃんに会った時のこととか…どーかな?」
「わぁ! 聞きたいですっ!!」


の言葉に、すちゃっ、という効果音が付きそうな程素早く、四不象から降りての前に正座する武吉。
漸く開放され、少し復活した四不象も、の方に顔を向ける。


「ボクも知りたいっス! 御主人の昔の話って、あんまり聞いた事無いっスから!」
さんっ! 早く早く!!」
「……二人とも、ホントに望ちゃんの事、大好きなんだね」


目を輝かせ、きちんと座って話が始まるのを待つ二人を見て、の頬は思わず緩んだ。








「ったくおぬし、あの二人に何を喋っとったんだ…」
「…あれ? 聞いてたんだ?」
「だいたいは聞こえとったわ…。周りもだいぶ潰れてきて、静かになってきたからのぅ…」
「そーだね…。あの二人も、最後の最後で寝ちゃったし」


武吉と四不象から離れ、未だ起きている人を探していた
木の裏側から聞こえてきた声に、酒瓶を持ち直して近づいた。


「望ちゃん、まだ飲める? これ、武吉に貰った桃のお酒なんだけど。美味しいよー」
「ほぅ! 貰おうかのぅ! …というか、おぬし…いつの間に酒なんか飲むようになったのだ?」
「…西岐に来て二年目くらいかな? 確か合同の成人式みたいなのやったじゃない。まぁ、只の宴会だったけどね、あの祭典も。あの時からだよ」
「そうだったかのう…花見といえば、おぬしは飲まずに介抱する側というイメージが強いからな…」
「あー、確かに…。望ちゃん降りてからは益々そんな感じだったし。年齢的に」


桜の下に並んで腰を下ろし、杯を交わすと太公望。
ひらひらと舞い落ちる花びらを眺めながらも、二人の視線は遠い空の先に向いている。


「今年もやってんのかなぁ…お花見」
「どーだろうのう…。しかし、こんな時だからこそ、お祭り騒ぎも必要だ。例年通りやっておるのではないか?」


――封神計画が始まるずっと前から、崑崙では毎年、大々的なお花見が催されている。
元始天尊と十二仙主催の、各々自分の弟子を連れて行なう大宴会。


…しかし、弟子達は只連れて行ってもらえるだけでは済まないのだ。
準備はお偉方がやってくれる代わりに、片付けは若い衆の仕事。
毎年毎年、潰れてしまった師匠を洞府まで運んだり、介抱したり…というのは、もはやこの行事の一部になっていた。


「…今年は、誰がコーチと太乙運ぶんだろ…。雷震子も降りてるから、雲ちゃんも運んでくれる人居ないしなぁ…」
……その口振りだと、まさか、あの雲中子があの雷震子に運んで貰っていたというのか…!!?」
「意外でしょー? 雲ちゃん、散々ヒトのお酒に細工して、自分は安全なの飲みまくって、でも全然酔わないのに突然寝ちゃうし。雷震子は何だかんだ言いながら毎年しっかり運んでたよ」
「ほぉー…。しかし、流石にナタクはやらんかったか…」
「ナタクは一番に寝ちゃうのよ。太乙が一瞬抜けて洞府に連れて帰ってたなぁ。で、その後太乙も潰れて、私が運んでた。コーチは天化に頼んでたけど」
「…やはり、師匠組は全滅するのが恒例のようだな…相変わらず」


太公望は「ったく、あやつら…」と苦笑するが、対するは明るく笑って答える。


「でもさ、皆が羽目外せるのって、あのお花見くらいじゃない? あれってある意味、弟子が師匠に感謝する日だと思うんだ。
『いつも有難う! 後の事は心配しなくていいから、今日は思う存分羽を伸ばして下さい!』って日。だから良いのよ。あの日くらい!」
「…成程のぅ……」
「まぁでも崑崙でのお花見に限らず、お花見ってそんなモンじゃない?」


言葉と共にスッと立ち上がったは、終わりつつあるこの大宴会をぐるっと見渡す。
そこに在るのは、普段の疲れの溜まった顔ではなく、思う存分騒いだ後の、どこか満ち足りた、皆の寝顔。


は再び元の位置に腰を下ろすと、頭上の桜を仰ぎ見る。
暫く固定されていたその視線は、突然、パッと太公望に移された。


「…望ちゃん、またやろうね!」


…流石に回ってきた酒のせいか、ほんのり染まった頬。
とろけそうな程の、満面の笑み。
手にした杯には、桜の花びらが一枚。


「……そう…だな」


――真正面から不意打ちを喰らった太公望は、視線を逸らしてそう呟くのが精一杯だったという。










――いつの間にか盛りを迎えた『それ』の下には、天も地も関係なく、自然と人が集うもの。

日常を忘れ、大いに騒ぎ、笑う。
そしてそれが、日常に戻ったときの、確かな活力となるもので。

今年も、また。
そして、きっと、多分、……願わくば――


『来年も、その次も、また皆で――。』




<end>




あとがき&挿絵