――崑崙山脈・青峰山。
この広大な崑崙山脈の幾千もの山々の中で、一番初めに目覚める山。


「…新しい弟子っ?」
「ああ! 凄く素質のある子を見つけたんだ!」
「へぇー。じゃあ、私の弟弟子って事になるねっ!」
「そうだなっ! でも、歳はお前と一緒だぞ?」
「そーなんだ! 楽しみー!!」


…本日も、それは例外ではなかったようで。








紫陽洞のうまれた日








「ねーコーチ、コーチの弟子になるってことは、その子、人間界から一人でこっち来るんでしょ?」
「まぁ、そうなるなっ!」


…青峰山の主・清虚道徳真君と、その一番弟子・
今朝も至って普通に会話をしながら、早朝の剣術修行に精を出していた。


「そっかー。それじゃ、その子の、親を……ちゃんと、説得しなきゃ、ってこと………だ、ねっ!!
「っと…!! 、今の太刀筋、今までで一番良かったぞ!!」


会話の間に混ざる、風を斬るいくつもの音。
一際大きく聞こえたそれをかわしつつ、道徳は感嘆の声を上げる。


「コーチ、まだ…一番、って、決めんのは……早いよっ!!
「うおっ!!?」


その手にしっかりと莫邪の宝剣を持ちつつも、今までの攻撃を避けることしかしなかった道徳。
しかし、の渾身の一撃に、反射的に身体が動く。


――そして、次の瞬間。


「痛…ったあぁ……弾かないって言うから油断してたー…」
「うわ!! 悪いっっ!! 大丈夫か!?」
「んー…なんとか……。もー悔しいぃ〜!!」


本気で防御に回った道徳に敵うはずも無く、軽いは思い切り弾き飛ばされた。
そんなを心配して、道徳は愛弟子の下へと猛ダッシュで駆け寄る。

の方は、咄嗟の事とはいえ多少の受け身は取れていて、大事には至らなかったようだ。


「はぁ…。何とも無くて良かった…。の顔に傷でも残ったら、どうしようかと思ったよ…」
「コーチってば気にしすぎだよ。んなコト言ってたら修行できないよー?」
「まぁ、そうなんだけどな…しかし…」
「それにさー、今までだって、いつもの雲ちゃんの薬で消えなかった傷なんて無いじゃん!」
「う……そ、それでも、治るまでが…」

「キリ無いってば、コーチ」


丁度一区切りついたので、今朝の修行はここまで。
揃って洞府へと戻りつつ、相変わらずな会話を続ける仲良し師弟。


「…ここに、もうすぐ一人増えるんだね!」
「ん?」


唐突に話を戻したに、道徳の反応は少し遅れる。
しかし、それの意味するところを悟ると、道徳は立ち止まって屈み、と目線を合わせた。


「…そうだなっ! ちゃんと連れて来るから、はその間、太乙の所で待っててくれよ?」
「うん! 何日か掛かるかも知れないんだよね…。でも、ちゃんと修行して待ってるから! 早く帰ってきてね!」
「おう!」


力強い返事と共に、道徳はの頭をぐしゃぐしゃと撫でた。










「ねぇ太乙ー、普通ってどのくらい掛かるの? 弟子のスカウトって」


――時間は、少し進んで。


道徳が人間界に降りて、一週間。
思いのほか帰りの遅い師匠に、ついにが痺れを切らした。


「うーん、それは相手によるね。なんせ、自分の一生を決めることになるんだから…。まだ迷ってるんじゃないかな? 道徳がスカウトしに行った子は」
「そっかー…そーいうモンなんだ」


太乙に作ってもらった炒飯を頬張りながら呟く
最後の一口を終わらせると、勢い良く立ち上がる。


「ごちそーさまでした! じゃあ、ちょっと修行してくるね!」
「はいはい、いってらっしゃい。あんまり遠くに行かないで、夕飯までには帰ってくるんだよ?」
「はーい!」


は元気良く返事を返すと、煽鉾華を取り出し、外へと飛び出した。

すぐに決めていた浮岩に辿り着くと、きょろきょろと挙動不審に辺りを見回す。
人気が無いことを確認すると、は鞄から莫邪を取り出し、力を籠めて黄色の刃を現す。

その刃の向く先には、その身の丈の2倍はあろうかという、巨大な一枚岩。


「…一回、やってみたかったんだよねー!! コーチ、居たら絶対止めるもん」


そびえ立つ大岩を一瞥すると、はニイッと笑って、莫邪を頭上に掲げる。
次の瞬間、目にも留まらぬ速さで振り下ろされたそれは、見事に大岩を真っ二つにした。


「………わぉ…」


…まるで、スローモーションの映像を見ているかのような、そんな感覚。
の目の前では、バランスを保てなくなった大岩が、ゆっくりと倒れていく。


呆然とその様子を眺めていたの目を覚まさせたのは、大きな大きな地響き。


「「「……うわ…」」」


思わず、口から出ていた声。


「…あれ?」


…自分しか居ないはずの、この浮岩。
先程漏らした声が重なっているのに気付いたは、ゆっくりと後ろを振り返る。


ひとつは、帰りを待っていた、よく知っている声だった。

そして、もう一つは。




「…あんた、強ぇさね?」




――然程大きくも無いのに良く響く、子供の声――。








「っし! じゃあ、改めて自己紹介といこうか?」


…綺麗に真っ二つになった大岩は、見なかったことにして置いといて。

道徳は二人を連れ、太乙に礼を言うと、一週間振りになる我が家へと向かった。
そして洞府に到着し、漸く一息ついたところで、二人を交互に見やる。


「ほら、まずはお前からだな」
「ん! 私は! コーチの弟子になったのは二年くらい前かな?」
「一応天化の姉弟子に当たるが、歳は一緒だし、同期のつもりで仲良くやれよ? まぁお前達なら心配いらないだろうけどなっ!」
「そーだよコーチ! んな事全然気にしないし。むしろ同い年なら嬉しいよ! よろしくね、天化!」


満面の笑みで右手を差し出すに、天化も笑って応える。


「俺っちは黄天化さ! …って、名前はもういーさね」
「あぁ、下の名前はな! 天化の家…黄家は、殷の武成王の…って、行く前に言ったか?」
「うん。何度も言ってたよ、コーチ。私に言ってから人間界行くまでのあの短時間の間に」
「…そ…んなに言ったか?」
「言ってた言ってた。よっぽど嬉しかったんだね!」


相変わらずの会話を始める道徳と
そんな師弟の様子を見て、人間界からたった一人でやってきた、天化の緊張も解けていく。

天化が小さく、くすっ、と声を立てて笑うと、道徳とはピタッと会話を止めた。


二人の注目を受けた天化は、を真っ直ぐ正面から見つめ、ニッ、と不適に笑って、自己紹介の続きを一言。




「んーと…俺っちも、剣術は得意さよ?」








「で、何でこうなるんだ…」
「いーじゃんコーチ。これからいくらでも一緒にしてくんだし」
「まぁ、そうなんだが…こういう形式の修行はもっと後になってからって考えてたのに…」
「って言いつつ、俺っちたちにサイズピッタリの竹刀が二本。準備イイさね」


あの一言からの成り行きで、早速手合わせすることになったと天化。
珍しく良い顔をしない道徳を無理やり引きずって、やってきたのは修行場。


しっかり揃えてある修行道具を手に取る天化に、がぴっと挙手して答える。


「あ、それ準備しといたの私ー! コーチが天化迎えに行ってる間に!」
ー…天化ー…悪いことは言わないから…」
「「い・や・(さ)!」」
「……お前達、早速息ピッタリだな…。俺は嬉しいよ…」


もう何を言っても聞かなさそうな二人に、流石の道徳も諦めモード。
はぁ、とひとつ大きくため息をつくと、近場の岩に腰掛け、観戦態勢に入る。


「知らないぞーっ、後悔しても! まぁ、お前達を見る限り、多分大丈夫だとも思うけどな」
「「?」」


主語の無い道徳の言葉に、と天化は揃って首を傾げる。
しかし、強く止めようとしない師匠の様子を見て、手合わせの許可は下りたと解釈したようだ。


「ルールは簡単。先に一本取ったほうが勝ちね!」
「分かったさ!」


適度に距離をとり、互いに竹刀を構える。
まだ十と少しの子供とは思えない、適度に張り詰めたオーラを纏う二人。


「「(――久々に、楽しい試合ができそう(さ)!!)」」


…試合開始の合図も無しに、天化は勢いをつけて地面を蹴った。
不敵な笑みを湛えながら、一直線にに向かう。


――対するは、穏やかな笑みを浮かべたまま、まだ、微動だにしない。





「(あーあー…始めちゃったか…。まぁ、俺が止めなかったからなんだが)」


走り出した天化を見つめながら、道徳は、今更ながら小さく溜息をつく。


「(太乙に見つかったら怒鳴られそうだな…)」


怒鳴る、なんてこと、以外の原因ではしなさそうな宝貝オタクの顔を思い浮かべつつ苦笑する道徳。
それでも止めることは無く、この手合わせを静かに見守る。


「(あいつら、多分分かってなかっただろうけど…今回俺が心配してるのは、じゃないんだよなぁ…)」


――先ほどからずっと、道徳の視線の先に居るのは、勝利を確信している少年。








「(へぇー、結構足速いんだ!)」


自分に刃をむけ走ってくる天化を観察しつつ、は冷静に考える。


「(歳近い子相手は何年か振りだからなぁ…。とりあえず最初は様子見だよね…。イマイチ勝手が分かんないや)」


むうぅ、と唸っている間にも、二人の距離はどんどん近付く。
10メートル………5メートル……3メートル…。


「…久々に、楽しい試合ができるかも知んねぇと思ったのに…」

「…ん?」


風に乗って届いた、不満気な声。
残り2メートル弱のところで、の視界から、天化が消えた。


「動かねぇつもりなら……遠慮なく一本頂くさ!
「!」


…しかし、それでも。

――背後から振り下ろされた竹刀が、を捕らえる事は無かった。





「な…!!」
「天化、まだ試合は終わってないよ」
「な、な…ん、で……」


「(あー…やっぱり、な)」


その台詞と裏腹な明るい声と共に、は軽快に地に降り立つ。
決定打にも見えた一本を軽々と逃げ切ったに、天化の表情は一変した。
雰囲気の変化を見て取った道徳は、軽くため息をつく。


間合いは先程と変わらないのに、間に漂う空気が違う。
感じたことの無い『気』に、も少し戸惑いを見せる。


「(んー…何か変な感じ…。どうしたんだろ?)」


うーん…と、は心配気に天化を見つめる。
そんなの様子を知ってか知らずか、天化の『気』は更に変化を見せる。


「…ねぇ」
「ん…?」


「終わってねぇし負けてもいねぇ!! 俺っちに勝っていいのは親父だけさ!!!」
「!!」


…どこか必死な叫びと共に、天化はに攻撃を繰り出す。
息をつく間もない程の、速く、激しい攻撃。


「わ、ちょっ…待っ…!」
「避けてばっかいねぇでさっさとその竹刀使うさ! あーた強ぇんだろ!? バカにしてるさ!!?」 
「…っ? 何っ…!」


――獲物を見つけた狩人が、突然逆に追い詰められたような、そんなイメージ。

冷静に隙を窺い、狙いを定めていたはずの狩人は、獲物の…相手の力量を、見誤っていたのかもしれない。
それに漸く気付いた狩人は、まだ牙も剥かれていないのに、自分の身を守るための攻撃を、がむしゃらに続ける――。


「(…特定の相手以外に負けなれていない。激情型。予想通りだな…。だから、の力を認めるまでは、手合わせさせたくなかったのに…。こりゃ、荒療治になるな……頼むぞ…)」


本来の力を出し切れていない、しかし激しく一方的な、止まる気配も無い攻撃を続ける天化。
天化の突然の感情変化に戸惑いつつも、考えを巡らせつつ避け続ける
全てを理解した上で、弟子達を信じて任せ、ただ見守る道徳。

…三人の思惑が絡み合う中、最初に行動を起こしたのはだった。


「…っ!」
「!?」


今まで、必要最小限の動きで、効率的に天化の攻撃を避け続けていた
その小さな身体にきゅっと力が籠り、それは次の瞬間、バネのように弾け飛ぶ。

後方へ綺麗な放物線を描き、間合いを取る。
そんなの動きに即座に反応した天化は、の着地地点に向かって一直線に駆け出す。


――最初の一撃と、同じ状況が生まれた。


「…これで、終わりさ!!」

「それはどうかな?」


…二度目に振り下ろされた竹刀は、避けられることは無かった。
代わりに響いたのは、高く、乾いた音――。





「……!!」
「やっと、止まってくれたー…」


――その浮き岩での、全ての動きが止まって。


苦笑するとは対照的に、天化の表情は再び固まる。
…つうっ、と一滴、汗が流れた。


「ごめんね、避けてばっかりで。歳近い子相手はすっごい久々だったから、どーしていいか分かんなくてさ…」


苦笑しつつ言うは、未だ動かない。
天化はを見て、自分の竹刀を見て、の竹刀へと視線を移し、漸くゆっくりとその口を開く。


「あ、あーた…どーして……」


搾り出すようなその声と共に、カラン、という乾いた音が、辺りに響いた。
…落ちたのは、天化の竹刀。

――の竹刀は、構えられることもなく、ただ、右手に軽く握られているまま。


「あのさぁ天化。さっきから思ってたんだけどさ…」


すっ、と一歩前へ、が踏み出す。
真っ赤になった左手で落ちた竹刀を拾うと、静かに天化に向き直る。


「どーして…どうして竹刀使わなかっ…!!」


漸く脳が動き出した天化は声を荒げるが、真っ直ぐな藍色の瞳に捉えられれば、喉から声も出なくなる。
はあくまでマイペースに、拾った竹刀を天化に差し出し、柔らかな微笑と共に、一言。


「…私の名前、ちゃんと覚えてくれたー? さっきから、呼ばれた覚え無いんだけど」




「………っ、…」




天化はゆるゆると手を動かし、竹刀を受け取りながら、小さく、目の前で微笑んでいる“姉弟子”の名前を呟く。

そして再び視線をの左手に――自分の渾身の一撃を直に受け止め、真っ赤になった小さな左手に――向け、僅かに俯く。




「悪ぃ……ありがとさ…」


――消え入りそうなその声も、程近い位置に居たには、しっかり聞こえていた。








…崑崙で一番早起きな山・青峰山。
そこから聞こえる早朝練習の音と笑い声が、あともうひとつ増えるのは、そう遠くない未来の話――。




<end>




あとがき