――おかしーなぁ…。


一体いつから私のトコは、駆け込み寺になったんだろ?


修行終える時間だって、休みの日だって、めちゃめちゃ不定期なのに。
休憩場所も、散歩コースも、日によって全然違うのに。


…何故だか、あの子達には分かってしまうらしい。
ある意味才能だと思うよ、それ。


…まぁ、頼ってくれるのは嬉しいけどね!




――ほら今日も、近付いて来るお馴染みの気配。








my friend
   ―玲花の場合








吸って、吸って、吐いて、吐いて。規則的に続く自分の吐息。
飛び飛びの浮岩地帯を越えたお陰で、ようやく足音と同じリズムになったそれ。

午前中の鍛錬メニュー・崑崙一周マラソンも終盤戦。
今日は天化が居ないから、文字通りマイペースに走れて、体力的にはまだまだ余裕。
九功山のなだらかな下り坂を、周りの景色を眺めつつのんびりと下る。

道の両脇に花壇が現れ始めれば、見えてくるのは白鶴洞。
水やり中の誰かに会えないかなぁ、と思いつつ曲がり角を曲がれば、目に入った小柄な背中。
声を掛けようとしたちょうどその時、くるりと振り返った彼女は、焦った様子で口に人差し指を当てていた。


「(……どしたの?)」
「(気配消してこっち来て!!)」


抑えた声で尋ねれば、返ってきたのは珍しいオーダー。
状況が分からないまま足音を殺して近づけば、彼女は小さく手招きする。
二人して岩陰に隠れるようにして覗き込んだ先では、普賢と望ちゃんが談笑していた。


「(……まさか、また?)」
「(う、うん……)」


予想通りの返答を寄越した彼女は、顔から耳から首まで見事に真っ赤に染めて頭を抱える。
二人を捉えたままの大きな瞳には、うっすらと張られた涙の膜。


「(玲花……)」


――無言でこちらを振り返った小さな頭を撫でつつ、私はその友人の名前を口にした。










「もうちょっと頑張ろう、って、いっつも思うんだけどね……?」
「前は普通に喋れてたのにねぇ」
「うぅ……」


二人が連れ立って出かけていった後、玲花はようやく肩の力を抜いた。
はぁぁ、と大きく吐かれた溜息を「幸せ逃げるよ」と茶化してみても、泣き笑いみたいな表情が返ってくるだけ。
ふっと遠くを向いて小さく開かれた口から零れる無声音。読み取れた名前は、いつもと同じ。

完全に心ここにあらずな玲花を呼び戻すために、敢えて主語は出さずに質問してみる。


「いつからマトモに喋れてないんだっけ?」
「……え、あっ、その……ね?」
「ん?」
「っ、その……す、すす、す……だって、気付……て、から……」
「うん? なんて?」
「……あぁぁもうのいじわる! 分かってるくせにぃぃぃ!!」


半泣きで私をぽかぽか殴る玲花は、湯気が出そうなほど真っ赤っ赤。
当たり前だけど全然痛くないそれを笑って受けてると、玲花は徐々に地面に崩れ落ちた。
ぺたん、と座り込んで私を見上げる瞳から、ぽろりと一粒涙が落ちる。


「はぁ、これじゃ、バレて避けられちゃっても当然だよね……」
「え?」


ふるふると力なく首を振る玲花が漏らした言葉は、予想の遙か斜め上を行った。
何があったか知らないけど、思ったより重症だね、これは……。

すっかり落ち込みモード玲花は、所在無さげに宝貝をいじりつつ溜息をまたひとつ。
黙り込む彼女と視線の高さを合わせてみれば、潤んだ瞳で無言の訴えが返ってきた。

とりあえず、私が知ってる限りの状況を、まずは整理してみることにする。


「……ねぇ玲花、普賢は知ってるの?」
「師匠? ……どうかなぁ。きちんと話してはいないけど、気付いてると思う……」
「木タクは?」
「名前は出さずに相談してるんだけど……あれで意外と鋭いし、気付いてそう……」
「望ちゃんは?」
「うっ……き、気付かれてる。多分」
「玲花が望ちゃんのこと好きだって?」
「……………う、うん……」
「で、自分で気付いてから意識しすぎてマトモに喋れなくなっちゃった、と」
「そう、です……」
「というか望ちゃん来たら反射的に隠れるくらいに悪化しちゃった、と」
「うぅ……」
「……望ちゃんが玲花のこと避けてるって根拠は?」


一通りの確認が終わって、いよいよ核心に迫る。
それまで私をまっすぐに見つめていた玲花の赤くなった眼が、ふいっと下を向いた。


「……私、が……洞府に居ない時間にしか、来なくなったし。目が合うと申し訳なさそうな顔するし。たまにちょっと話せたかと思うと、何かしら用事思い出して帰っちゃうし……」
「いつから?」
「割と最近、かなぁ……」


少し角度を変えた質問に返ってきたのは、さっきとちょっと違う答え。

……これ、やっぱ、勘違いしてるよね。きっと、お互いに。
しかもそれ、本人達は気付いてないみたいだし。

今私が望ちゃんのフォローすることもできるけど、それじゃきっと解決しない。
どうしたもんかなぁ、と考えていると、新たな気配が後ろにひとつ。


「……お、玲花と……姉じゃん! 丁度いいところに」
「!」
「木タク! おじゃましてまーす」


しゃがみこむ女二人を見下ろす木タクは、小脇に箱をひとつ抱えていた。
丁寧に地面に下ろされたそれは、ふわりとほのかに甘い香りを漂わせる。
私達の輪に加わった彼は、玲花の真っ赤な眼には敢えて触れなかった。


「丁度いい、って、どうかしたの?」
「いや、さっき、太公望師叔が来てたんだけどさ……荷物取りに来たくせに、肝心の荷物忘れて帰っちゃって」
「ありゃー……」
「だからさ、姉、戻るときに届けてやってくんね?」
「いいけど……案外それが狙いだったりしてね、望ちゃんってば……」
「かもなー」


木タクと顔を見合わせて苦笑い。玲花はまた泣き笑いみたいな表情を浮かべる。
そんなとき、さぁっと通り過ぎた一陣の風。箱から漏れる甘い香りが強くなる。
玲花の後ろ頭では、桃の花をあしらった髪飾りがふわりと揺れた。

……あ、いいこと思いついた。


「……ねー木タク、箱の中身聞いてもいい?」
「あぁ、桃だよ。っつっても、実じゃないけどな」
「え?」


――読みが当たった。思わず僅かに口角が上がる。
きょとんとした表情を浮かべる玲花に、木タクは箱を開けて見せる。


「ほら、この前珍しく嵐がきただろ? その時、ウチの山にある立派な桃の木が一つ倒れてさ」
「あぁ、あの木……丁度花も見ごろだったのに、残念だったなぁ」
「へぇ……」
「そ、だからさ、花も木もまだ新鮮なワケ。こんだけ良い匂いもしてるしな」


にっ、と笑う木タクの手元の箱の中身は、茶色と桃色で埋め尽くされていた。
桃の花と枝がぎっしり詰まったそれを覗き込む玲花に場所を譲って、彼女の後ろに回る。
ふわり、また通り過ぎた春風に、残り香を漂わせつつ、数枚の花びらが攫われていく。


「太公望師叔、これで何すんだろーなぁ?」
「雲ちゃんとこでも持ってけば、桃の香水くらいは作ってくれそうだけどねー」
「ふぅん……でも、このままでも、香りくらいは十分楽しめそう」


望ちゃんを頭に浮かべて、かは分からないけど、玲花は桃の花が色褪せて見えるくらい、綺麗に笑った。

場が和んだそんなとき、一際強い突風がぴゅうっと吹きぬける。
玲花の長い髪を巻き上げて通り過ぎたそれに乗じて、私は彼女の後ろ頭にこっそり手を伸ばした。










「望ちゃーん、お届け物だよー」
「お、! すまんのぅ、すーっかり忘れとったわ」
「よく言うよ、もー」


二人と別れて、荷物を片手に煽鉾華でひとっ飛び。
あっはっはと悪びれずに高笑いする望ちゃんに、無事に荷物を手渡す。
いそいそと箱を開けた望ちゃんは、おぉっと楽しげに歓声をあげた。


「ほー、こりゃ思った以上に立派だのう!」
「雲ちゃんに頼んで香水でも作るの?」
「ダアホ、雲中子になんぞ渡してたまるか! 挿し木でもしてみようと思ってな。ちと難しいらしいが、物は試しだ」
「ふーん」


すっかりご機嫌な望ちゃんは、花が付いたままの枝をひとつ取り出した。
香りを楽しもうと鼻に近づけると、何かがぽとりと床に落ちる。
首を傾げつつ拾い上げた望ちゃんの手には、桃の花の髪飾りがひとつ。


「ん? これは……どこかで……」
「うん?」
「……のう、確かこれは……玲花のモノではないか?」
「あぁ! そうそう、こんなの持ってた!」
「ふむ、良く出来ておるのう。本物かと見紛うたわ……箱詰めの時に紛れたか……」


望ちゃんの手の中で光を反射して、きらきらと輝くそれ。
ふっと優しく笑って、髪飾りを見つめる望ちゃん。

……良かった。これなら、次行って大丈夫そうだな。


「……じゃ、望ちゃん、私、鍛錬の途中だからそろそろ戻るね」


煽鉾華を持ち直して跨って、紫陽洞の方角に向ける。
途中なのはホントだし、走って帰った方がいいんだけど、今回はちょっと眼を瞑ってもらおう。

帰り支度を始めた私を見て、望ちゃんは焦った声を出した。


「なにっ!? おぬし、玲花とは仲が良いだろう!? 届けてくれんのか!?」
「えー、今ここまで望ちゃんの忘れ物届けたのに、またパシリ?」
「うっ……」


痛いところを付けば黙りこむ望ちゃん。
少々挙動不審に冷や汗を流しつつ、ブツブツと何やら呟いている。

……これは、もしかして。


「……ねー望ちゃん、玲花に会いづらい理由でもあるの?」
「あ、いや、その、実は……あやつは料理が上手いだろう?」
「え? うん」
「……玲花の桃杏仁が驚くほど美味でな、この前……ちーっと拝借してしまって」
「……食べ物に拝借とかあり?」
「ダアホ! だから会いづらいっつっとろーが!」


開き直って胸を張る望ちゃん。いやあれは旨かった、と恍惚の表情を浮かべている。

――つまり、玲花の作った桃杏仁を勝手に食べちゃった、と。
それが避けてた原因か!


「玲花……かわいそ……」


思わずぽつりと呟けば、望ちゃんは一気に顔色を悪くした。


「なっ!? や、やはり怒っておったのか玲花は!! しまった、もうアレが食えんかもしれん!!」
「玲花はそんなに心狭くないって知ってるでしょー。素直に謝れば許してくれるって」
「そ、れは、そうだろうが……」
「むしろ喜ぶかもよ? 桃杏仁、こっそり食べたくなっちゃうほど美味しかったって言えば」
「そんなもんか?」
「そんなもんだよ」


さらりと言えば、望ちゃんはそのうち納得したように黙り込んで、視線を髪飾りに移した。
……よし、それじゃ、最後の仕上げといきますか!


「あ、じゃーさ、こんなのどう?」
「?」








「……玲花! ちょっと良いか?」
「! す、師叔!!」


望ちゃんを煽鉾華に乗せて、なんだかんだと戻ってきた白鶴洞。
だったらおぬしが返してくれればいいものの、とぶつぶつ言う望ちゃんを言いくるめて追い出して、私は物陰からこっそりと成り行きを見守る。


「先程荷物が届いたのだ。済まんかったな」
「い、いえ、私は何もしてませんし……」
「いやいや、そう謙遜するでない。ほれ、おぬしに届け物だ」
「え?」


望ちゃんが桃の髪飾りを取り出して、玲花に見せる。
あっと息を呑んだ玲花は、髪からそれが無くなっていた事に、気付いていたのかいないのか。
望ちゃんは驚く玲花のうしろに回って、器用に髪飾りを元の位置に戻した。

……意外に上手なのは、いつもの帽子みたいなので慣れてるからかな。


「あ、有難うございます! どうして……?」
「荷物に紛れておったのだよ。……それはそうと玲花、わしはおぬしに謝らなければならんことがある」
「え……?」


思わぬ申し出に、玲花はきょとんとした表情を浮かべる。
そんな玲花の反応も知らず、望ちゃんは両手を合わせて頭を下げた。


「すまん! この前、おぬしの作った桃杏仁をこっそり食ってしまったのはわしだ!」
「え?」
「前に貰ったのが、あんまり美味かったモンでのう……」
「……じゃ、最近私を、その、……避けてたのは」
「う、うむ、すまん……ばつが悪くてな」


望ちゃんが小さく呟くと、玲花は二度ぱちぱちと大きく瞬きして、深い深い溜息を吐いた。
良かったぁ、と呟いた彼女の声は、望ちゃんに届いているのかいないのか。
玲花が再び口を開く前に、望ちゃんは予定通りの言葉を零す。


「代わりと言ってはなんだが、良い桃が取れる場所があるのだ! ここの洞府の桃の木も折れてしまったことだし、案内したいのだが、どうかのう?」
「! 喜んで!」


ぱあっと花開くような笑顔を見せる玲花。
ほっとしたような表情を浮かべる望ちゃん。

――ここから先をこっそり見るのは、野暮ってモンだよね。

揃って立ち去る二人を見送りつつ、鞄から煽鉾華を取り出す。


「さて、帰りますか!」
「あれ、、昼ごはん食べてかないの?」
「コーチ待ってるし大丈夫。……っていうか普賢、いつから居たの?」
「さあ、どうだったかな?」


……天使の微笑みを浮かべる普賢が、今回のことをどこまで把握してるかは、何となく聞けなかった。
その代わり、玲花から桃杏仁が届いたのは、その次の日のこと。




<end>




あとがき