「……さてっ、そろそろ行こっかな」
「また近いうちに顔出しなさいよー?」
「、忘れ物! 道行様にお渡しするんでしょ?」
「あーごめんありがと! ……よしっ、じゃーまた来るねー!!」
とある師弟の金の斧。
――任務の為、人間界に降りていたが、仙人界に戻ってきてから早数時間。
太乙、雲中子、玉鼎に続き、竜吉公主の元を訪れたが、次に向かうは金庭山――十二仙が一人、道行天尊が洞府を構える山。
忘れかけた風呂敷包みの届け物を煽鉾華の柄に引っ掛け、は飛び慣れた空を快調にとばす。
風は緩やかに背中を押し、仰いだ空も綺麗に晴れている。
雲ひとつ無い絶好の飛行日和に、の気分も上々。
「気持ちいー! これならもーちょい飛んでたいけど……もう近いからなぁ、こっからだと」
独り言と共に視線を近くに戻せば、目的地はもう眼と鼻の先。
は徐々に宝貝へと籠める力を減らし、煽鉾華の速度を落としはじめる。
と、その時、覚えたての霊気を感じて、はくるりと方向転換。
危なげなく直角に曲がった煽鉾華の柄が向く小ぶりな浮岩には、最近仙人界にやってきた青年の姿があった。
「……あ、やっぱり韋護だ」
「お、あんたは……!」
友好的な笑みを見せるに、青年も笑顔で手を振り答える。
彼の隣に音も無くするりと降り立ったは、洞府に足を向ける韋護と並んで歩く。
「久しぶり〜。仙人界はもう慣れた?」
「そーさなぁ。案外俺には向いてるかもしんねェわ、ここ」
「そか、良かった良かった。 ……じゃーさぁ、お肉、食べたくなったりしない?」
「……っくー、肉はあいにく食べられないッ!」
「あはは、寒っ!」
「あーもー言うなよ! 漸く忘れかけてたとこだったっつーに!」
「お肉好きだったんだ?」
「んー、喰えないと思うとなー。仙人になったんなら、野菜をたらふく食べときやさい、ってか?」
「え、今のはちょっと厳しくない……?」
「お前さん、顔に似合わず手厳しいな!」
にこやかに会話を続ける二人は、韋護の先導で迷い無く洞府へと進む。
やがて辿り着いた、一際大きな浮岩。新緑が目立つそこを暫く行けば、前方に玉屋洞が小さく見えてきた。
そんな時、久々に会う道行の顔を思い浮かべていたの隣で、韋護がはたと立ち止まった。
あちゃー、と頭をがしがし掻く彼の視線は、辺りの緑の奥をふらふらと彷徨っている。
「……あ、いっけね、師匠今洞府にゃ居ないんだった」
「え、ホント!? 私、お届け物あるんだけどなぁ……」
「んー……いや、ちょっと待てよ、」
「?」
程無くして一点に定まった視線。
が期待を寄せつつ見上げれば、韋護は満面の笑みを浮かべて手を叩き、を見下ろした。
「師匠が居ないと支障がある、と!」
「……、っもー、韋護ぉ……」
かくりと肩の力を抜いて苦笑するとは対照的に、韋護は機嫌よさげににやりと笑った。
しかし、最近仙人界に来たばかりとはいえ、元々より幾分年上の韋護。
兄貴分らしく堂々とした面持ちで胸を逸らし、の頭をわしゃわしゃと撫でる。
「心配すんなって、多分あそこだ」
「あそこ?」
韋護が指し示す場所は洞府の右側、林か森と言っても差し支えない木々の向こう側。
昔からここも遊び場のひとつにしていたは、遠い目をして記憶を辿る。
「あっちの方って何かあったっけ?」
「ま、行けば分かるさ」
足元に転がっていた程よい大きさの枝切れを拾って、韋護は機嫌良くを先導する。
洞府から五分も歩かないうちに現れたのは、小さな泉。
辺りに人影も気配も無いことには小首を傾げるが、韋護は枝切れを指示棒のように振ってみせる。
「、お前さんはもう、宝貝貰ってるんだろ?」
「え? うん」
「俺は勿論まだだ。仙人界に来てからも、そんなに日ぃ経ってないしな」
「そうだねぇ」
「だがしかしっ、師匠はもう俺の宝貝を考え始めてくれてるらしい!」
「へー!」
韋護がぴしりと指した枝の先は、何故か泉に向かっている。
彼の脈絡の無い話は、更に意外な方向に飛躍した。
「そこでだ! 、ちょっくら相手してくんねぇか?」
「うん?」
「俺はこの枝っ切れを使う。お前さんは……そーだな、出力落とした莫邪の宝剣あたりにしといてくれると有難いんだが」
「えぇ!?」
練習用の木刀にも似た形のそれを、韋護は真面目な顔で両手で構える。
手合わせを頼まれているのは理解しつつも、は疑問いっぱいの表情のままで莫邪を取り出した。
煽鉾華を収納宝貝に仕舞い、腰に付けた鞄を外し、道行への届け物は地面に降ろす。
太乙によって改造された用・莫邪の宝剣には、修行モードで力を籠める。
ブウン、と鈍い音を立てて淡く黄金の光を放ち始めたそれを見て、韋護はうんうんと頷いた。
「良いねーぇ。じゃ、お手柔らかにお願いしますよ」
「うん……ねぇ、代わりってワケじゃないけどさ、終わったらちゃんと教えてね?」
――今は多くは訊ねないが、彼がやろうとしている“何か”が済んだら。
「おう」
真面目な顔で宝貝を構えるに、目深に被った帽子の下から、韋護がにっと笑った。
それを合図に、彼は軽やかに地面を蹴る。
「!」
「おー流石、良い動きすんなぁ」
「ありがと、韋護もね!」
韋護の腕から繰り出される、の予想以上に重い一撃。
本物の宝貝を相手にしているような感覚に戸惑いつつも、彼女は莫邪の宝剣で見事にそれを受ける。
カンカンカン、と短く鋭く浅く打ち込まれる連撃を流して、ガツンと重い一撃をひらりとかわして。
舞うように攻撃を受け流すに、韋護はひゅうっと口笛を吹いた。
一方、守りに入りつつ様子見に徹していたは、微かな霊気の振動を感じて、小さく眉根を寄せた。
「……ねぇ、これさ、本当はただの棒じゃないよね?」
「さーて、どーかねぇ」
「ふぅん?」
飄々と答える韋護は、彼女の問いに否定も肯定もしない。
それなら、と悪戯な笑みを見せたの手元で、莫邪の柄がちかりと光る。
韋護の木の棒との莫邪が再びかち合ったその瞬間、莫邪がブゥンと振動した。
「「!」」
莫邪から放たれた霊気の波が、木の棒を弾く。
その衝撃で韋護の手から飛び出したそれは、彼の身体に当たったあと、吸い込まれるように泉に落下した。
「っつつ、内股を打っちまった……」
「ふふ、勝負あり、だね!」
「ついにスルーかい」
お決まりの駄洒落を言いつつ水面を撫でる細波を見送る韋護は、木の棒を拾い上げる気は無いらしい。
――そんな彼を見てが口を開いた、その瞬間。
「ねぇ、韋……、っ!!!?」
「お」
突然、泉の底から、ぱあっと眩い光が輝く。
思わず細めた藍色の双眸が捉えたのは、水面に浮かぶ小さな人影。
逆光でただの黒い影にしか見えないそれは、やがて言葉を発した。
「……ちみが落としたのは、黄金の薙刀でしゅか? 白銀の槍でしゅか? それともただの棒ッ切れでしゅか〜?」
「ほら居た」
「……ど、道ちゃん……」
ふよふよと泉の精よろしく現れたのは、韋護の師にしてこの洞府の主、道行天尊。
数千もの年月を生きてきたとは思えない無邪気な声を上げた彼は、弟子の隣の人影を認めて、更に明るい声を出した。
「でしゅ! うわぁ、久しぶりでしゅね〜! 任務はきちんとやってきまちたか?」
「あ、あはは、久しぶり〜。うん、無事に終わったよ」
その手に身の丈をゆうに超える宝貝をふたつと棒切れを抱えたまま、道行はの元へと飛んで来た。
彼はよいしょ、と可愛らしい声を出して荷物を降ろし、屈んだの膝元へと移動する。
「ボクの弟子が世話掛けたみたいでしゅね。有難うございましゅ」
「んーん、そんなことないって。でも道ちゃん、それに韋護も、聞いていい?」
「なんでしゅか?」
「おう、さっきのだろ? 説明するぜ?」
すっかりその場に腰を落ち着けたと道行の元へ、韋護も近付き腰を下ろす。
――と、その時、道行が降ろした薙刀の端を、韋護の足がこつんと突いた。
続いて聞こえたぽちゃん、という控えめな音に、三人は揃って泉に顔を向ける。
「「「あ」」」
澄み切った泉の底へ底へと落ちていくのは、が持ってきた届け物。
その中身に思い至った道行は、さっとその表情を青くした。
「……おんどりゃァァァこの阿呆弟子!!!! なァにさらしてくれとんじゃコラ!!!! 取って来んかいっ!!!!」
「わわわ悪い師匠っ!!!!」
道行の怒声に叫び声で返す否や泉に飛び込んだ韋護は、すぐにそれに追いついた。
と道行が見守る中、韋護は片手でしっかりとそれを掴むと、ふわりと水面に浮上してくる。
包みを手渡された道行が慎重に開いたその包みの中身は、両端に丸みを帯びた漆黒の棒。
「こ、これは……!」
「なんなの?」
「おっ、師匠、もしやそれ、俺の宝貝になるかもしれないヤツか!?」
「……ふふん、まだ秘密でしゅ」
包みを覗き込むと韋護から隠すかのように、道行はさっさと“それ”を風呂敷に包む。
物足りない表情を浮かべる二人に向き直った道行は、をちらりと見やった後で、自らの弟子の顔を覗き込んだ。
「……韋護、ちみはまだ、さっきの答えを言ってましぇんね」
「うん?」
「キミが落としたのは、どの宝貝でしゅか?」
先程までとは打って変わって、真面目な表情を見せる道行天尊。
韋護は彼の視線をじいっと捉えたあと、ひとつ頷いてから答えを返す。
「俺はまだ、あの木の棒で十分です」
「そうでしゅか」
弟子の出した答えに、道行は満足気に微笑んだ。
「……へぇ、やっぱあれ、宝貝みたいなモノなの?」
「はい、あくまで練習用のおもちゃみたいなモノでしゅけどね」
「師匠! 俺はおもちゃだなんて思っちゃいねぇよ!!」
「はいはいそーでしゅねー」
「あはは、道ちゃんもスルーだ」
「あれなら形に頼らず修行できるし、って、今回は一応真面目に言ってんだがなぁ……」
「はー……それなら、薙刀がいいとか槍がいいとか言ってたのは、ドコのダレだったんでしゅかねぇ……」
「さーてなぁ?」
「ま、いいでしゅけどね」
結局細かいことは分からなかったものの、緩いテンポで繰り広げられる師弟のやり取りに、はこっそり笑った。
帰ったら私も修行しよう、と漏らした彼女の呟きは、韋護の耳には届いていない。
――彼女が“その”宝貝の名を知るのは、それから数年後のこと。
<end>
★あとがき