、天化っ、明日は通常メニューの代わりに、ちょっと遠くまでピクニックに行くぞっ!」
「「…ピクニックぅ!?」」


…歓声にも似た確認の台詞は、見事なまでに協和した。










こどもカプリッチオ










「ピクニック、かぁー。そんな修行メニュー初めて! 何するんだろ……っと!」
「へーっ、でも初めてなんかい」
「うん。っていうかさ、コーチの歳からしてみたら、私と天化が修行始めた時期なんてそう変わんないんじゃない?」
「ま、確かにそーさね……よっと」


夕暮れ時の青峰山に、小柄な人影がふたつ。
彼らは並んで走りつつの会話でも息を乱さず、浮岩から浮岩へとテンポ良く飛び移っていく。


「ねぇ天化、どんなトコ行くんだと思う?」
「コーチがわざわざ行こうっつートコだろ? だだっ広ーいグラウンドみたいなんがあるんじゃねぇ?」
「あー、ありえる!」


一日の修行を締めくくる、クールダウン代わりのランニング。
そうは言っても、彼らが――とりわけ、丁度1年ほど前に道士になったばかりの少年・天化が――このコースを息一つ乱さず走り抜けられるようになったのは、つい最近の事。

二人は戻るべき洞府を背に、折り返し地点である乾元山・金光洞を目指す。


「周りとか何も気にしないで良い広さだったら良いけどなー」
「あぁ……この前みたいにならない位のね……」
「アレはマズかったさ……バレたら絶対めっちゃ怒られる……」


お互いまっすぐ前を向いて走りつつも、浮かべた表情は仲良く揃って同じもの。
天化の意味深な台詞に、は先日二人でやらかした事件を思い出す。
……道徳の不在中にキャッチボールをしていて、天化のロングスローをが取り損ね、ボールを落としてしまったのだ。

仙人界から真っ逆さまに「落ちた」先は言わずもがな、落下にどれだけの時間が掛かるかも分からないほど遠く離れた地上・人間界だ。
落ちたボールがどうなったか、二人には想像するほかに術がない……被害が出なかったことを祈るだけだ。

苦い顔を浮かべていたが、過去の過ちを振り切るようにひとつ息を吐いた。


「……せっまい庭先でやってたのがいけないんだよね……。まーでも、明日はその心配もいらないでしょ! 久々に思いっきり投げれるよ!」
「や、でも、肝心のボールがもう無ぇさ。あれが最後の一個だったかんね」
「えー!? あぁ、そっか……もう一個のは前にパンクしたんだっけ……今度は心置きなく投げれると思ったのになー」

「……ん?」


はがくんと肩を落とすが、一方の天化はの返事に何故か首を捻る。
そうこうしているうちに、目印である金光洞はもう目前に迫っていた。

普段は大きく「太乙」と書かれた黄巾力士のボディに触れて折り返すところだが、今日はあの巨体が見当たらない。
一足早く目的地に辿り着いたはきょろきょろと辺りを見回すが、すぐに代わりとばかりに洞府の壁に軽く手を突き、紫陽洞へと方向転換。


「よーっし、あと半分……」
っ、ちょっち待つさ! そーさ! 太乙さんさよ!!」
「わ、え、何っ?」


ペースを上げようと大きく一歩踏み出したが、がくんと膝を震わせ急停止。
腕をがっしりと固定された感覚に振り返った彼女の前では、天化が満面の笑みを浮かべていた。










「あ、ホント、あったー! 良く覚えてたね天化!!」
「っつか、俺っちがパンクさせちまって自分で持って来たんさよ……」
「そーだっけ? まー結果オーライだから気にしない気にしない」


……明かりの消えた薄暗い研究室に、似つかわしくない明るい声が反響する。
姿の見えない部屋の主に内心で侘びを入れつつ、そこらじゅうに散らばる怪しい物体を掻き分け、と天化は部屋の中央にある机を目指す。


「何に使うんかねー、これ……」


ぼんやりとした淡い光に誘われ、天化は半ば無意識に、棚にちょこんと置いてある小さな箱へと手を伸ばす。
触れるか触れないかの距離まで達したとき、その腕は彼のそれより少しだけ小さな手に阻まれた。


「ダメっ天化、ここに散らばってるモノって、ちょっと触っただけでもどーなるか分かんないんだから! しかもこれ、一応『不法しんにゅー』なんだから特にっ!」
「そ、そーさね……!」


しーっ、と人差し指を口に当てつつ言うはどこか楽しげ。
無断のプチ探検にちょっとしたスリルを味わいつつ、二人はついに目的のモノのところまで到達した。
彼女らの身長からすると少しばかり高い作業机の縁に手を掛け、背伸びをしてソレに手を伸ばす。


「おー、綺麗に直ってるさー! さっすが太乙さん!」
「わ、ホントだ、新品みたい!」
「……っし! ボールも見つけたしダッシュで帰るさ! だいぶ時間経っちまったさよ!!」
「そだね! よーし、洞府まで競争ーっ!!」


彼等の掌にほどよく収まるちいさな球状の物体を大切そうに握り締め、やんちゃ盛りの見習い道士たちは颯爽と研究室を後にした。

……それに良く似た古ぼけたモノが、同じ机の上にあったとは知らずに。










「到着ー! さあっ、天化っ、思う存分走ってこいっ!!」
「「おうー!!」」


翌日。紫陽洞姉弟が約束通りに連れてこられた場所は、予想通りの広大な野原。
空に浮かぶ仙人界にあるにも関わらず反対側の縁が見えないそこは、崑崙でも屈指の大きさを持つ浮岩。
まんまるに見開いた目をきらきらと輝かせた若い二人の道士は、師匠の許しの言葉とともに走り出した。


「すごーい広ーい! これならどんだけ飛ばしても大丈夫そう!」
「仙人界にもこんな広いトコあったんさね! よっしゃ、早速やるさ!」
「二人ともー! 準備運動忘れんなよー!!」


後ろから掛けられた道徳の声が予想外に遠かったことに、と天化は揃って駆け足を止めた。
振り返った先に小さく見える道徳は、大きく手を振り再び声を張り上げる。


「オレはちょっと奥のほうに用事があるから、お前たちはこのへんに居てくれよー?」
「どーしたのコーチー? 頼まれ事ー?」
「おう、ちょっと採ってきてほしい鉱石があるって、太乙に頼まれてなー!」
「そか、行ってらっしゃーい!」


道徳に手を振り返したが前に向き直ると、隣で立ち止まっていたはずの天化の姿は既に小さくなっていた。
黄巾力士10体分ほど離れた距離。彼女がすぐさま追いかけようとすれば、「ストーップ!!」と制止の声が掛かる。
両手で大きくバツを描く彼の右手には、掌にほどよく収まる球体がひとつ。


ー、このくらいが丁度良さそうさー!」
「え、届くのー!?」
「楽勝楽勝ー! 行くさよー?」


胸の前で構えた両手を頭上に振り上げ、右手を顔の横に引いて、一気に振り下ろす。
ひゅんっ、という鋭い音が風音に紛れた次の瞬間、天化が投げたその球体は、が乾いた音を立てて見事にキャッチしていた。


「わ、ホントに届いた! "超ろんぐすろー"ってやつ!?」


彼女が無意識に漏らした感嘆の声は届いていないはずなのに、天化はへへんと満足気な表情を浮かべる。
次はの番、と言わんばかりに球を捕る姿勢を構えた天化に、は口端を上げた。


「よしっ、じゃあ、私も本気でいくよー!?」


そもそも、キャッチボールは天化に教わった遊び。
先程の彼の見事な投球をイメージしながら、もまた構えた両手を頭上に掲げる。
すぅっ、と軽く一息吸って、息を止める。タイミングを見計らって、吐くと同時に、腕を一気に振り下ろす――


「ちょっと待ったぁぁぁぁぁぁ!!!!」
「へ!?」


突如背後遠くから掛けられた大声に、の体勢が不自然に傾く。
それでも勢いのついた右手はその球を留めることなど出来ず、それは本来の軌道から少々左へ逸れて放たれた。
綺麗な弧を描いて、しかし自身の居る場所からはだいぶ離れた方向に飛ぶ球を見て、天化は首を捻りつつも呆れ顔を浮かべる。


「どーしたさ、ひっどい"ワイルドピッチ"さよー。ちゃんと最後まで姿勢崩さないで……」
「てててて天化君!! 見てないで走って!! 拾って!! ぜぇったい対地面に落とさないでぇぇぇ!!!!」
「え、太乙さん!?」
「いいから早くぅぅぅ!!!!」


どうしてこんな所に居るのやら、ついさっき名前を聞いたばかりの顔見知りの仙人が、必死の形相で猛然と駆けて来る。
彼の視線はの投げた球に釘付け。先程の叫び声にも似た言葉と照らし合わせても、その表情を見ても、只事ではないことだけは確かだ。

天化はその俊足を最大限に生かし、未だ緩やかな弧を描き続けるそれの着地地点に先回りする。
落下まで、あと50メートル、10メートル、5メートル……。


「捕った……!」
「ナイスキャッチ!」


一瞬遅れてが到着した時には、球は無事天化の掌の中に納まっていた。
顔を見合わせニカッと笑い、ハイタッチを交わす二人の後ろに、ぜいぜいと息を切らせつつ太乙が到着する。
球の無事を確認した後、脱力して息を整える彼の纏う空気が常とは違うことを感じたと天化は、再び顔を見合わせ、背筋を硬くした。

ある程度回復した太乙が姿勢を正すと、二人は揃って首を竦める。


「君達……まさかとは思うけど、それが何だか分かってやった訳じゃないよね……?」
「「え?」」
「……やっぱり、これと間違えて持って行ったのか……」


彼の言わんとする事に全く覚えの無いと天化は、ゆるゆると顔を上げ太乙の表情を窺う。
珍しく静かな怒りを滲ませていた太乙は、すっかり縮こまっている二人の反応を見て、大きな溜息と共に肩を落とした。

これ、と言って太乙が差し出したのは、未だ天化の手にある球体と良く似た丸いもの。
ぱっと見た限り、違っているのは汚れ度合いだけと言っても過言ではないそれを見て、と天化はあっと声をあげた。


「それって……俺っち達のボールさ……?」
「え、うそ、じゃあコレは……?」
「霊珠、って言うんだ。宝貝だよ」
「「宝貝!?」」


予想外の答えに、二人は揃って目を丸くする。
つまり、崑崙でも有名な宝貝オタクの太乙から、大事な大事な宝貝をこっそり拝借して、しかも遊び道具に使ってしまったということ。
間違えたとはいえ、これはどれだけ怒られても仕方ない、と、二人は再び身構える。


「ごめんなさい……」
「悪かったさ……」


爆弾の投下を恐れて、しゅん、と項垂れ素直に謝ると天化。
しかし、対する太乙の言葉は、どこまでも静かだった。


「……まぁ、ちょっとやそっとで壊れるほどヤワじゃないんだけどね。でも、それはいつか"命"になるんだ。やっぱり、投げて遊んでいいものじゃない」
「「……え?」」
「そんな大事なものを放置しておいた私も悪かったけどね。そもそも、自分達のボールと間違えたにしたって、人の家にあるものを勝手に持って行っちゃ駄目だろう?」


彼はこれを宝貝だと言った。
でも、今度は、同じものに対して"命"になるものだと言った。
決してイコールで結ばれることの無いはずの、二つの単語。

若い道士二人は、疑問の色を瞳に滲ませて太乙真人を見上げる。


「ホントにごめん、太乙……ねぇ、でも、宝貝なのに命になるって……どういうこと……?」
「太乙さん、まさか……卵みたいにそっから何か孵ったりするんさ!?」
「えぇ!?」
「だとしたら、俺っち達……あんなに思いっ切りブン投げて……」


――子供というのは、時に大人には予想だにしない発想を繰り出すものだ。
天化の言葉に、太乙は怒っていたことも忘れて思わず噴き出した。
しかし当の本人達は至って本気らしく、も天化も顔色を悪くしている。

故意ではない、反省もしている、霊珠も無事。もうそろそろ許してやってもいいだろう、と判断した太乙は、二人の視線にあわせて屈むと、彼らの頭に手を乗せた。


「……ふふっ、それはちょっと違うけどね、」


ぐしゃぐしゃと頭を撫でてもう怒っていないことを告げると、太乙はすっと立ち上がって後ろを振り返る。
彼の視線を追ったと天化が見つけたのは、彼らの師匠の姿。
出掛けと同じように大きく手を振る彼の右手には、小さな石ころのような物体が握られている。
それを認めた太乙は、ふっと笑って二人に視線を戻した。


「じきに分かるさ。これで、もうすぐ"この子"も完成するし」
「え……?」
「だからさ、今日のことの代わり、ってわけじゃないけど、その時は、この子と思いっきり遊んでやって?」


結局太乙の言うところが分からないままのと天化だが、最後の言葉には、分からないながらも首を縦に振った。












「……あれ、このボール、こんなところにあったんだ。懐かしー……」


――西岐の首都、豊邑。

鞄に詰まった携帯用収納宝貝の中身を整理していたが、一つの巾着袋の中から古ぼけた球体を取り出した。
それにまつわる十年近く前の出来事を昨日の事の様に鮮明に思い出し、は一人苦笑する。
ふっと仰いだ空には、その時は分からなかった"あの子"の姿。
背中に天祥を乗せ、ぐるぐるとあてもなく空を旋回している彼に、は大きく手を振った。


「ナタクー、あの時はごめんねー」
「何の話だ」
「あはは、なんでもなーい!」


見上げた空の遙か彼方、崑崙山にいる彼の育ての親に向かって呟く。
"この子"は元気でやってるよ、と。




<end>




あとがき