それは、よく晴れた日の昼下がりのこと。
始まりは、姫発改め武王の一言。
「…はぁ〜…勿体無ぇ〜…」
「こら姫発…ぼさっとしとらんで手を動かせ手を…」
「…なぁ太公望、そー思わねぇ??」
「おぬし…聞いておらぬな…」
姫君の秘密
仕事を溜めすぎて周公旦にハリセンを食らった姫発と太公望は、珍しく執務室で仕事中。
始めこそ真面目に手を動かしていた二人だが、そのうち徐々に動きは遅くなり、ついに姫発が音をあげた。
口では怒っている太公望も既にやる気は失われており、手に持っていたはずの筆はいつの間にか箱の中に収められている。
「…ふう…仕方ない。ここらで休憩とするかのう」
わざとらしい大きな溜息を付く太公望。
それを受け、姫発も大きく伸びをして返事に代えた。
その視線は、最初に一言発した時から、一箇所に固定されたままで。
「…おぬし、さっきから何をそんなに一生懸命見ておるのだ?」
「ん〜??」
頬杖を付き、窓の外の一点を眺め続けている姫発。
太公望は問いかけながら、その視線を追う。
――視線の先にいたのは、満開の桜の木の下で金髪の少年と遊んでいる、藍色の髪を持つ人物。
「…ちゃんっていっつも首にバンダナしてるよな?」
「何だ、唐突に……」
なおも視線は外さずに、今度は姫発が問いかける。
一瞬怪訝な顔をした太公望が、確かにそうかもしれない、と記憶を辿り始めた時、執務室の扉が開いた。
「師叙に武王、頼まれた書類……ってあなた達、何やってるんですか…」
「ヒトに仕事任せといて、自分らは呑気に花見かい…」
「「!!」」
机から離れ、窓際から外を眺めている二人に声を掛けたのは、不機嫌顔の楊ゼンと天化。
両手に抱える大量の書類を手近な机に降ろすと、サボリ組に近づく。
どんな小言を言われるか、と体を強張らせている太公望と姫発の後ろから、楊ゼンも窓の外を見下ろした。
「…ははぁ。天化くん。この人達は別に花見をしていた訳では無いみたいだよ?」
「じゃあ何さ??」
太公望と姫発が眺めていたモノを確認し、天化に向かって不敵に微笑む楊ゼン。
サボリ組を窓際から退かし、「ほら」と外を指差す楊ゼンに促された天化が見たのは、自分の姉弟子と弟の姿。
「…あーたら……花見の方がよっぽど趣味がいーさ」
自分たちを振り返る軽蔑の篭った二対の瞳に、太公望と姫発は両手をぶんぶん振って弁解する。
「なっ!! …おい天化、その言い方は誤解を招くぞ!? 確かにちゃんは超ド級ぷりんちゃんだがなぁ…」
「わしは違うぞっ!? こやつが唐突に妙な事を言い出すから…!!」
「…妙なこと?」
楊ゼンが話に乗ってきたのを逃すはずも無く、姫発はすかさず先程と同じ疑問を口にした。
「ちゃんっていっつも首にバンダナしてるよな? って話だよ」
思わぬ方向に話が向き、先程の太公望のように怪訝な顔をする楊ゼン。
しかし、一瞬黙ったあと、「そういえば…」と小さく漏らした。
「確かに…昔付けはじめた時以来、外した所は見たことありませんね」
「だろ??」
「うむ…わしも言われてみてそう思ってな。どんな服の時もしておるし…もしや見せたくないような傷でもあるのか?」
「え? 修行の後とかは普通に外してるさ。別に傷なんて無ぇさよ」
うーん、と考え出す三人に対し、天化は一人別の意味で首を傾げる。
「じゃあ唯のファッションってことか? 勿体無いぜ…今日なんて髪上げてんのに…!! ちゃんのうなじ見てぇ〜…」
「「………」」
「…そーいう理由かい」
その白い首元を見事に覆い隠すバンダナが余程気になるらしい。
がっくりと落胆する姫発に天化が突っ込みを入れ、太公望と楊ゼンもやれやれと肩を竦める。
…誰もそのアイデア自体は否定しなかったが。
むしろ全員が黙ったあの一瞬、頭に浮かんだ画像は同じだったと言えるだろう。
――そんな時。
「…みんなして何の話してんの??」
「「「「!!!」」」」
静かになった部屋に、鈴の鳴るような声が響いた。
バッ、と勢い良く振り返った四人の目の前に居たのは、話題に上っていた張本人。
「!? 天祥はどうしたのだ!?」
「え? さっきナタクと飛んでったよ。だから暇になっちゃって、どーしよっかなーって思って上見たら、皆が集合してるの見えてね」
未だ焦りが隠せない四人に、「で、何の話してたの??」と無邪気な笑顔で促す。
つい目を合わせてしまった楊ゼンは、やましいことは何も無いように聞こえるよう、精一杯普段通りを装って答える。
「…、キミの話だよ。そのバンダナ、いつでもしてるよね、って話」
予想外の答えに、きょとんとした表情を見せる。
四人を見て、自分の首に巻いてあるバンダナを見て、漸く「あぁ…」と小さく反応した。
「…コレ、最初は太乙に騙されたのよ。コーチもグルだったみたいだし」
「「「「????」」」」
訳がわからない、とでも言いたげな四人。
そんな四人の表情を見て苦笑したは、右手でクルクルとバンダナを弄びながら、ゆっくりと昔話を始めた。
「確かあれはー……まだ私がコーチの弟子になってすぐの頃かなぁ…」
「はい、できたわよ」
「わぁー!! ありがとー碧雲!! …で、何だっけ、コレの名前??」
「浴衣よ浴衣。人間界では夏の祭りの時に着るらしいの。この前赤雲がお使いに行った時、私との分も買ってきてくれたの」
「そーなんだぁ…ユカタ、かぁ。ありがと赤雲!!」
「いえいえ。やっぱり予想通り良く似合ってるわ〜。、髪もそうすると大人っぽくて良いわよ」
「えへへー」
――がまだ十歳そこらの頃。
道徳から竜吉公主と太乙に届け物を頼まれたは、まず鳳凰山を訪れていた。
公主に届け物を渡したが鳳凰山を出る途中、公主の弟子であり、の年上の友人でもある碧雲に呼び止められた。
そして、碧雲の部屋に通され、今に至る――。
「ほら、太乙様への届け物と、の服。忘れていくんじゃないわよ?」
「あ、そーだった! …じゃあ二人とも、ありがとね!」
「またね、」
浴衣を着せられ、髪もきちんと結われ、軽く化粧までされた。
右手に大きな紙袋を二つ持ち、左手には煽鉾華を握り締め、碧雲の部屋を出てぱたぱたと廊下を走る。
「首がスースーして涼しー!! 夏にはこういう髪型もいいかもね」
鳳凰山を出て、煽鉾華で空を行く時も、はすこぶる上機嫌だった。
「太乙ー、お届け物持ってきたよー!」
「あ、! 有り難う……って、どうしたんだい? その格好は??」
「赤雲と碧雲にやってもらったの。えーっと…そう!ユカタ!! 似合うー?」
「勿論っ!! 凄く可愛いよ。さすが私のっ!!」
「えへへーっ」
金光洞に到着したは、太乙に届け物を手渡すと、ニコニコしながらその場で回って浴衣を見せる。
太乙もその微笑ましい光景を見て、自然と笑みをこぼす。
しかし、その笑みは徐々に消え、代わりに何か心配するかのような表情へと変わっていく。
太乙の視線が集中しているのは、の首元。
表情の変化をに悟られるより早く、太乙はポンッと手を叩いた。
「…そうだ!! 、君に新しい宝貝をあげよう!!」
「へ? 何、急に…」
首を傾げるを置いて、洞府の奥に引っ込む太乙。
程なくして、その手に一枚の真っ青なバンダナを持って戻って来た。
「ほらこれ。まだ開発中なんだけどね…いつも身に付けていると修行の成果が出やすくなるんだ!!」
「え? そんな宝貝あったなんて聞いたこと…」
「開発中だからね!! まだにしか見せてないんだよ?」
「…ふーん? いいの?」
「あ、ああ! 首に巻いておくんだよ??」
「…うん…ありがと…??」
太乙はの首元にバンダナを巻きながら、その“宝貝”の説明をする。
は少し首を傾げたが、有り難く貰っておくことにした。
「コーチ〜、ただいまー!」
「おっ! お帰り。お使いありがとなっ!! ……って、その浴衣どうしたんだ??」
「赤雲と碧雲に貰ったの。…ってかこれ、可愛いけど…ユカタには合わないよね」
お使いを終え、紫陽洞に戻って来た。
首に巻くバンダナを一旦外すと、太乙にやったように、くるっと回って道徳に浴衣を見せる。
「似合うー?」
「ああ。可愛いじゃないか! 良かったなっ!! …で、そのバンダナは?」
「太乙がくれたの。いっつも首にしてると修行の効果が出やすくなる宝貝だって。まだ開発中って言ってたけど、良いかなぁ…?」
「……… !」
「…コーチ??」
「…あ、あぁ!! そ、そうか、良かったじゃないか! それをつけてさらに強くなろうなっ、っ!」
「え、良いんだ…? じゃあやっぱり貰っとこー!」
「…普段なら『を開発中の宝貝の実験台にするなぁっ!!』って言いに行くのにさ。何かおかしいって思ったけど、コーチもそう言うならって、それ以来いつもしてたのよ」
――時間は現在に戻って。
一通りの出来事を話し終えたは四人を順番に見ると、軽く一息ついた。
「あ、でも結局2年位経ってから、唯のバンダナだって分かったんだけどね〜。気に入ってるから今もしてるけど。…結局あの2人、何がしたかったんだろ??」
うーん、と首を傾げる。
対して、男四人は沈黙しながらも、太乙と道徳の意図を理解していた。
最初に沈黙を破ったのは、太公望の呟き。
「…成程…気持ちは分からんでも無いが…さすが親バカだのぅ…」
それを皮切りに、男四人は額を寄せ合い、小声で呟きだす。
「独り占めならぬ二人占めですか…」
「まんまと習慣になっちまったのか…勿体ねぇ…」
「無自覚って恐ろしーさ…」
「…???」
…周軍は、今日も平和です。
<姫君の秘密・終>
★あとがき