同期シリーズ2
「道徳ー、居るー?」


コンコン、というノック音と共に茶の間に響いた柔らかい声。
返事を待たずに開かれた扉からひょこりと顔を出したそのヒトは、今まさにその扉を開こうと手を伸ばしかけたままで固まってた俺っちに目を止め、ふんわりと笑った。


「あら天化。こんにちは」
「こ、こんちわ」


部屋の奥からコーチが応える声がする。
でもそのとき、客人は既に洞府の中。声のする方へ、迷い無く足を進めていた。


「おじゃましまーす」
「最初のノックの意味無ぇさよ、さん……」


コーチのところに弟子入りしてから数年。さんがふらりと紫陽洞を訪れるのも見慣れた風景になってきたけど、これを見逃す手は無い。
俺っちが外へ出ることを見越して開きっぱなしになっていた扉を閉めて、洞府の中へUターン。

――あのヒトの桜色の唇から、今日はどんな言葉が溢れてくるんだろう。










同期設定シリーズ! 2
 ―もしも、と色物三仙が同期だったら?










「黄巾力士?」
「そう! 夕方には返すから、お願いっ、貸してくれない?」


両手合わせて小首を傾げて、さらに上目遣いのオプションまで付けられたさんの頼みを断れるヒトを、俺っちは今まで見たこと無い。
それにさんは人に無理難題を押し付けるようなヒトじゃないから、持ってくる頼み事もそう難しい事じゃない。
そういうわけで、コーチも当然二つ返事で了承した。その頬が緩みまくってるのもいつもの事。


「しかし珍しいな。が黄巾力士なんて」


お目当ての巨大宝貝の元へ案内する道すがら、コーチが用途を問うでもなく素直な感想を口にする。
二人の一歩後ろを着いて歩く俺っちの位置からは見えづらいけど、さんは多分、苦笑を浮かべてそれに答えた。


「んー、今日中に行きたいトコがあるんだけど、煽鉾華がメンテ中でね。タイミング悪く」
「へぇ、太乙のところか?」
「そうそう、定期検査。流石に10年に一度くらいは本職のとこで見て貰わなきゃかなーと思って。お陰でここ100年か200年かずっと故障知らずよ」
「いやぁ、それきっと、の整備の腕が上がったんだろ!」
「そんなことないよー。せいぜい日々の手入れが精一杯」
「そうかー? 試しに今度俺の莫邪も見てもらうかなっ、に」
「えぇー、人の宝貝いじるなんて責任重大じゃない!」


一見すると他愛も無い世間話(蓋を開けてみればコーチが太乙さんに地味に対抗してる)を続けていた二人の歩調がだんだんと緩やかになり、止まった。
視線を上げればそびえ立つ巨大な球体。移動用の大型宝貝・黄巾力士だ。


「おぉー、なんか久々さ」


俺っちが首をおもいっきり上に向けてその巨体を見上げていると、さんはコーチから鍵のようなものを受け取り、軽やかに操縦席に跳び乗る。
女のヒトながら、相変わらず惚れ惚れするような身体能力だ。俺っちはまだ敵う気がしない。
……そらそーさ、なんせ相手は十二仙に匹敵するチカラを持つ仙女だ。


「運転方法は……ま、大丈夫だよな?」
「ばっちりよ」
「あんまスピード出しすぎるなよー?」
「分かってるって、煽鉾華じゃないんだから、でしょー?」


操縦席と下とで会話する二人(というか、主にさん)を眺めていたらいい加減首が痛くなってきた。やべっ、攣りそう。
こういう時はストレッチ、と準備運動のように首をゆっくりと回す。

気が済むまでぐるぐると首を回して一息つくと、コーチとさんの視線は揃って俺っちに注がれていた。
なにごとかと二人の様子を窺う俺っちを後目に、コーチとさんは顔を合わせ、も一度俺っちの方を向く。


「……天化、乗る?」
「へ!?」
「おう、いいぞー、行ってきても。今日のノルマは終わったしな。が一緒なら安心だし」
「あ、でも、そしたら用事も付き合って貰うことになるけどね。あと残念だけど朝歌とかは行けないよ?」
「え、ちょ、何の話さ!?」


マイペースな二人の話に乗せられ、気付いてみれば俺っちは本当に文字通り乗せられていた……操縦席に。
どうやらさんをずっと見上げてたのを、黄巾力士に乗りたくて(操縦したくて?)見てるモンだと勘違いされたらしい。
俺っちがその流れを漸く理解した頃には、既に黄巾力士は仙人界と人間界との境界あたりを飛んでいた。

操縦桿を握るのはさん。「いいの?」とレバーを指差して訊かれたけど、ぶんぶんと首を横に振って返事に代えた。こんなバカでかい宝貝、5分だって操縦できねぇさよ!
でも、勘違いから生まれたにしろ、この結果は俺っちにとってだいぶラッキーだった……さんと二人で空中デート、なんて、雲中子さん辺りにバレたら後が怖そうだけど。

涼しい顔で操縦を続けていたさんが、不意に声を漏らした。


「あ、ホラ見て天化。地上見えてきたよ」
「うわ、すっげぇさ!」


ボディの縁に手を掛け少し背伸びして地上を見下ろす。
歓声を上げる俺っちに微笑をひとつ向けると、さんの視線は進行方向に戻る。


「正面に見えるのが朝歌ね。そこを中心に、東西南北にそれぞれ200の邑々が……って、殷の武成王の息子なら知ってるかな」
「……お、おおおう、当然さよ!」
「怪しいわねー」


あの藍色の瞳に覗き込まれたら誤魔化しきれない。
慌てて目を逸らす俺っちに、さんはクスリと控えめな笑い声を立てた。どっちにしろバレてたさ。


「でもね、今回私が用事があるのは、あっち」


すっと指し示されたのは寅の方向。深い緑が一面に広がる、西岐の外れのあたり。たぶん。
何か見えるかとほんの少し身を乗り出すと、細い腕に見合わない強い力で止められた。
俺っちが口を開くより先に、掛かる重力が急激に変わる。

反射的に見上げたさんの口元は、きれいに弧を描いていた。


「さて。飛ばすから、ちゃんと掴まっててねっ!」
「……っちょ、えぇぇえ!!!?」


――無事に帰れたら、コーチに言いつけてやるさ!!!!










「よしっ、着陸せいこーう」
「……楽しそーさね、さん……」


黄巾力士の最高速度を存分に満喫したさんだったけど、着陸は緩やかにスムーズに正確にやってのけた。
やっぱすげぇさこのヒト。いろんな意味で。

下草が満遍なく生える地面に足を降ろす。
ぐるりと辺りを見渡せば一面に広がる緑、上を見上げれば緑の中にまるく切り取られた青く澄んだ空、所々にふわふわ浮かぶ白い雲。当然ながら仙人界は肉眼じゃ見えない。

もう一度視線を下ろせば、今度はさっき見た緑が只の緑じゃない事に気付く。
日光に透かされた若葉の色、幾重にも重なった葉の一番下の色、所々土交じりの下草の色、その中に控えめに咲いている様々な野花の色。そよそよと柔らかい風が吹くたびに色を変えかたちを変える。
仙人界よりもお天道様からは離れているはずなのに、木々の隙間から注ぐ陽の光は変わらずこの森にも届いている。

なんか、すげぇさ。ここ。

俺っちが漏らした小さな呟きを聞きとったのか、さんは得意満面の笑みを浮かべた。


「ね、凄いでしょ。分かる? ここ、霊穴の近くなのよ」
「れいけつ?」
「霊気の溜まり場になってるとこ。ほら、こっち」


ゆっくりと深呼吸して取り込んだ清々しい空気が身体中に染み渡る。
どうやらこれがさんの言う「霊気」だと、感覚的に理解できた。

俺っちを振り返りながら先を行くさんに誘導されて森の奥へと進む。
周りの風景に微妙な変化を感じながら暫く二人して無言で歩くと、進むにつれ、空気の新鮮さが増しているような気がした。
きっと「霊穴」が近いんだろうな、と思った丁度そんな時、ふいに前を行く背中が動きを止める。
激突する寸前で堪えた俺っちに短く侘びつつさんが少し脇にずれると、ぱっと視野が明るく開けた。

さらさらと音を立てて、柔らかい風が吹き抜ける。


「こ、こは……」
「このへんで一番良い霊穴よ。目的はこっちだけどね」


全身を撫でるように通り過ぎていった風に何故だか体がぐらつく。
それを見越していていたかのように絶妙のタイミングで支えてくれたさんは「濃度高い霊気が満ちてるからね」と小さく笑った。
俺っちをしっかり立たせると、さんは膝を折って地に手を伸ばす。その手の向かう先を目で追っていくと、ここが何なのかが漸く分かった。

白、赤、淡紅、黄、紫、橙。
森のはずれにぽっかりと広がった、色とりどりの花が咲き乱れる花畑。


「へぇ、すっげぇさ! さん、霊気って花の成長にも良いんさ?」
「んー、どうだろ。どっちかっていうと、霊気というよりこの泉自体のおかげかもね。出所は一緒だけど、花には綺麗な水の方が大事だもの」


ここの中央部にある小さな水溜りを指差して言うさんの両手には、既に手折ったたくさんの花が抱えられている。そんなに沢山どーすんさ。
俺っちが突っ立ったままでぼーっと見ていると、さんは花束を一旦俺っちに持たせて、泉の水を瓶にひと掬いして戻って来た。
もう用事は済んだのか、来た道を示して俺っちから花束を受け取ろうとする。


「いーよ、持ってくさ。持ちきんないっしょ?」
「あら、ありがと。じゃあ半分だけお願いするわ。さて、次行くわよ?」


年長者のする笑顔に押し切られる形で、抱え込んでいた花束は半分持って行かれた。
今度は並んで歩きながら、次の目的地目指して歩く。
視界の下のほうで揺れる七色の花束をなんとなく見ていたら、今更ながらに気が付いた。

これ、色違いなだけで、全部おんなじ花さ。

少し疑問に思ったけど、それを口にする前にさんはまた歩みを止めた。
気付いたら森の外れに出ていたらしい。遮るものが無くなったお陰で陽の光が眩しい。

少し目を細めてさんを見上げれば、彼女は今まで俺っちが見たこと無い表情をして、足元を見下ろしていた。


視線を辿るまでは簡単だった。
ソレが何なのか理解するまでには、思わぬ時間が掛かった。

――それはきっと、さんとソレとを結びつけるのが、すごく難しかったから。


「天化、その花束、ここに置いてくれる?」
「あ、あぁ……」


いつの間にか屈み込んでいたさんに声を掛けられて我に返る。
言われた通りにしてさんの様子を窺うと、控えめに置かれた墓標に泉の水を掛けていた。
その顔に浮かぶのは、先ほどの表情とは似つかない、穏やかな微笑。


「……久しぶり」


瓶を置いて墓標の石に手を添える。
細く長い指で撫でるように辿るのは、刻み込まれた名前。

……そう、ここにあるのは多分、ヒトのお墓。
この花束も清らかな水も、死者を弔うためのもので。


「ごめんね、大遅刻しちゃって。長いこと仙人やってるとどうも駄目ね、時間の感覚無くなっちゃって……って、言い訳しても、遅いんだけど、ね」
「………」
「百日草はね、亡き友を偲ぶ花」
「……へ?」


突然話を振られて答える声が上擦る。
さんは微笑みをひとつ残して、一度俺っちに向けた視線を花のほうへと戻した。

ヒャクニチソウ。
声には出さず繰り返した耳慣れない名前は、この花のものらしい。


「気にしてたでしょ、花束。他にも可愛い花がいっぱいあるのに、なんで同じ花ばっかりなのかって?」


……他の花も咲いてた、ってのは気付かなかったさ。

花と墓標を通り越してどこか遠くを見ているかのようなさんの横顔を見ていると、そう答えるのもなんだか申し訳ない。
曖昧な相槌で答えを濁したけど、さんは特に気にするでもなく話を続ける。


「『幸福』とか『絆』とかを象徴するとも言うわ。私が彼女と過ごした時間は、人間の尺度で見てもそう長くは無いけど、確かに絆はあったと思いたいなって。故人の幸福を願う、ってのも、不思議なモノかもしれないけど」
「そ……んなこと、無いさよ」
「だと良いわね」


ぽんぽん、と、俺っちの頭によくそうしてくれるみたいに墓標の石を軽く叩いて、さんはすっきりした表情で立ち上がる。
微かに霊気を含んだ風が通り過ぎて、ふわりと靡いた藍色の髪が煌めいた、ように見えた。


「これで私も、人間界との繋がりが無くなっちゃったなぁ」
「え?」
「親兄弟や友人知人なんてもちろん皆亡くなってるし、ウチの弟子達ももう皆3桁以上生きてる。里帰りに出す事も無いわ。年功序列に則れば、人間界と関わる仕事が回ってくる年でも無くなったし」


彼女とはそれで知り合ったのよ、と付け加えて、さんはまた墓標に向き直る。
風と髪とに邪魔されて、その表情を窺う事はできない。


「天化、アナタにもいつかそういう時が来るわ。仙人として生きることを選んだときから、決まってしまった事だから」
「そういう、時……」
「そう。でも、ね」


そういう時がきたら。

それをはっきりと想像する前に頭にきた柔らかい衝撃。
さっき墓標にしたのと同じように俺っちの頭を軽く叩いたさんは、俺っちと視線の高さを合わせてにっこりと笑った。


「忘れなければそれでいいの」
「何をさ?」
「……それはきっと、人それぞれね」
「それじゃ分かんねーさよさん」
「自分で考えなさーい」


今度の笑顔は、悪戯が成功したときみたいな笑顔。
こういうときのさんは普段より5歳は若く見える……って、もちろん、人間でいう見た目年齢の話でさ。

さんは俺っちの頭をぐしゃぐしゃと撫で回すと、すっと立ち上がって左手を差し出した。


「さ、帰ろっか、仙人界へ」


この年になって、という気恥ずかしさもあるにはあるけどここは大人しく手を取る。
柔らかくて暖かいこの手はおふくろと何が違うってんだろう、なんて考えたのは、さんのよく分からない言葉のせいにしておくさ。


「あ、一つだけ、分かった事があったさ」
「なに?」
「……さんがスピード狂だって」
「あはは、帰りは気をつけるわ」




――本当は、全く分からなかったって訳じゃない。
さんの言いたいことは、何となく分かってる。

それでも不安に支配されずに済んだのは、『そういう時』が来たって、このヒトは変わらず居てくれる、って、そんな漠然とした安心感が、あの意外に小さい掌越しに伝わったから。

忘れなければそれでいい。
それなら俺っちは、今日の事を忘れないようにしておくさ。


一度も振り返らないさんの代わりに、そっと墓標を振り返る。
花に囲まれた小さな岩の向こうから、ありがと、って声が聞こえたような、そんな気がした。




<end>




あとがき