……8月2日。

空は快晴。
絶好の洗濯日和である。


「んーっ、気持ち良い〜!」










happy birthday to my dear...










『天気の悪い日』があまり存在しない仙人界でも、稀に見る晴天。
雲ひとつ無い一面の青空に向かって、は思いきり両手を伸ばした。


「今日は暑くなりそーだな……」


ぱんぱん、と小気味良い音を立て、手元の洗濯物を干していく。
眩しい日差しに映える青と白のコントラストに眼を細めつつ、籠の中身を順調に減らす。

服が干し終われば、次は三人分の布団。
一見重そうなそれも軽々と担ぎ上げ、てきぱきと手際よく干し終えてしまうのは、日頃の修行の賜物だろう。


「ふー。これで……」
っ、お疲れさんさ!」
「あ、天化」


おしまい、と言葉を続ける前に掛けられた明るい声。
振り向けいたの元に駆けて来たのは、ランニング姿の天化。
その片手には、何故か青いホースが握られている。


「あれ? どしたのそれ?」
「これさ? 今日は暑っつくなるみたいだかんね、この前太乙さんに聞いた『打ち水』っつーヤツ、試してみようと思ったんさよ」
「……打ち水?」


聞きなれない単語に、は小首を傾げる。 
天化はそんな彼女に得意気に笑い掛けると、ホースを指示棒のように振りつつ解説を始める。


「こーいう暑い日に地面に水を撒いとくと、気化熱っつーので暑さが和らぐらしいさ」
「へぇー! それ、人間界の風習? ホースでやるもんなの……?」
「聞いた話の限りじゃ、そうみたいさね……ん?」


ふと自分の手元に視線をやる天化につられ、もホースに眼を向ける。

――と、その時。




……びしゃあぁあああぁぁあああ!!!!



 
「「!!!」」

「……うわっ、悪い!! 、天化、大丈夫かー!!?」


「「………」」


突然ホースから噴き出した水で、と天化は一瞬で頭から足先までずぶ濡れ状態。
二人は焦って駆け寄って来る犯人に、揃って呆れ顔を向けた。


「もー、コーチぃぃ……」
「ちゃんと確認して欲しーさ……。それに、んな勢い良く捻らんでも……」
「や、ホンット悪い! 隣の蛇口を開いたつもりだったんだが……」
「はぁ……まーでも、良く言えば、確かに涼しく……って、あぁぁああ!!」


師匠へのフォローの言葉は、途中から大きな叫び声へ。
その原因は、の振り返った先、彼女同様ずぶ濡れになった洗濯物たち。
干される前には濡れていなかった布団も、例外ではなかったようだ。


「うー……わぁ、ちょっ、もぅ……えぇえぇぇ……!?」


ショックで真っ白になっているを見て、道徳と天化は意味深な視線を交し合う。
は両手で頭を抱え込み、はぁぁ…と大きな溜息を吐いて暫し固まると、突然ぱっと顔を上げた。


「……全部脱水し直しっ! やるモンあったら早く持って来てよ!!」
「お、おう……」


余りの切り替えの早さに呆然とする道徳と天化を尻目に、はさっさと洗濯物を取り込み、自分自身もびしょびしょのまま、洞府内へと向かっていった。




「コーチ……なんつーか、罪悪感が……」
「分かってる……。ははっ、これでも、まだ終わらないみたいなんだけどな……」
「マジか……、ゴシューショーサマさ……」
「元も子もない気がしてくるよな……」
「そ……れは、言っちゃおしまいさよ……」


……残された二人の会話は、には届いていない。










「ふー。やれやれ、まさか今日だけでこんなに洗濯機回す羽目になるとは……」


濡れた服を着替え、洗濯物も干し終えて、漸く一息。
いつの間にか道徳も天化も洞府から姿を消していて、は少々不機嫌顔。


「……ったく、いいけどさ。だからって更に用事残して行かなくてもいーじゃん」


げんなりするの手元には、道徳からの置き手紙。
流し読みした後に視線を動かした先には、大きなダンボール箱。
配達を頼まれたそれは、太乙への届け物だという。


「黄巾力士飛ばして出かけんなら、自分で持ってってくれたって……これも修行って事? うーん、なーんか納得いかないなぁ、もー」


ぶつぶつと不平を漏らしつつも、頼まれた事はキッチリやるのが
普段の荷物よりもだいぶ大振りなその箱も、バンダナで包んで煽鉾華の柄に通す。


「お、重っ!! 何入ってんの、これ!?」


……千切れるんじゃないかな。

いくらバンダナが太乙特製のモノでも、そう思わざるを得ないほどの重さのその荷物。
それでも煽鉾華に跨って力を籠め、不安定ながらも宙に浮かせ、は思い切って浮き岩から飛び降りた。








「うぅぅ、飛び辛いぃぃ…」


大小様々な浮き岩の間を、ふらふらと移動する青い人影。
普段は風をも操って空を翔るので有名な少女は、今、広い空を頼りなく浮遊していた。

まるで、昔好きだった絵本の中の1ページと同じように。


「あはは……。あとは、黒猫がいれば完璧なんだけどね……」


口では呑気なことを言っていても、額にはじんわりと浮かぶ油汗。
いつもと違って、いくら綺麗な雲や緑を通過しようとも、眼をやる余裕が全く無い。
その手元から淡い光を放ち続け、浮き続けることだけに全神経を集中させる。


そんなの涙ぐましい努力を嘲笑うかのように、事件は起こった。


「何か、嫌な予感がする……」


突然背中に悪寒を感じたは、久々に周囲に気を配る。
……その分、飛行高度がガクンと2メートル程下がったが。

その高度をなんとか保ち続け、耳を澄ましてみれば、聞こえてきたのはひゅるるるる……という不吉な音。
の頬を冷たい汗が流れた、その瞬間。

――威勢のいい音と爆風と共に、彼女の真横の浮き岩が粉々に砕け散った。


「うわっ……!」


その身軽さが仇となり、は爆風に煽られ、煽鉾華の上でバランスを崩す。
下に重い荷物を抱えている分、そこを支点に振り子のように揺れる揺れる。


「……ひゃあっ! おおおお落ちるっ!!」


必死で姿勢を低くし、煽鉾華にしがみ付き、力を籠めて体勢を立て直す
そんな中、この状況を作った元凶が、いつの間にか涼しい顔での真横を飛んでいた。


「……おい」
「………」
「おい、聞いているのか? 今日こそ俺と勝負しろ」
「………」
「おい、!」


の様子が普段と違う、なんて気付くはずも無く、マイペースに言いたい事を言うのは、毎度お馴染み宝貝人間ナタク。
反応しないどころか視線すら寄越さないに、ナタクは少し声を荒げ、乾坤圏を構える。

そこまでして漸く返って来た声は、普段の彼女からは考えられないほどの切羽詰った声。


「……ごめんお願いホント頼むから今日は駄目、無理、今話し掛けないで……っ!!」

「……?」


そこで初めての異変に気付き、空中停止したナタク。
怪訝な表情を浮かべてを見つめるナタクを放ったまま、はひたすら目的地を目指して飛んでいった。








「……ねぇ、これ、今日は厄日ってやつなの……??」


――それから、数時間経って。

紫陽洞へと戻って来たは、扉近くのスイッチを押した手を力無く落とした。
電気が付かない。ブレーカーが落ちたのだろうか。


「うぅ、いいよもう……」


ずるずると重い足を引き摺って、暗いままのダイニングの椅子に倒れこむようにして座る。
腕を放り出し、机に突っ伏し、大きく溜息をひとつ吐き、今朝からの呪われっぷりを思い出す。


干したばかりの洗濯物と一緒にずぶ濡れにされ。
やり直して落ちついたと思えば、師匠と弟弟子はいつの間にか居ない。
代わりに残されたお使いは、修行じゃなきゃイジメかと言いたくなるほどのシロモノで。
ふらふらしつつ運んでいる途中で、ナタクに乾坤圏をぶっ放された。

それからも酷いものだった。

満身創痍で荷物を運び終われば、太乙に捕まり新宝貝の実験に付き合わされ。
後からやってきた雲中子に「随分疲れてるねぇ」と怪しげな薬を飲まされ。
確かに仙気が回復したは良いけど、あまりの苦さに半泣き。
苦さ改善の為にと半ば無理やり薬草摘みに付き合わされるも、行く先行く先で目的の花は悉く散っていて。
しかも理由が「時期が遅すぎた」。事前に調べておいてくれれば良いものを。
諦めて帰ろうとすれば、何故か付いてきた太乙が、何故登ったのか分からない、高い所から降りられなくなってバタバタして。

……漸く開放されて戻って来てみれば、我が家は真っ暗。


「これはもう……諦めて大人しくしてろってことだね……」


遠い目をして独りごちる
ぼんやりと部屋を見るでもなく見渡していると、壁に掛けてあるカレンダーの赤丸に気がついた。


「ん? 8月2日……なんか予定があったような……」


気がする、という言葉が出てくるより、記憶が蘇ってくる方が早かった。
は椅子が倒れるほど勢いよく席を立ち、今の時刻を確認して冷や汗を流す。


「やばっ!! 昼間っから原始のじーちゃんに呼ばれてるんだった……!!!」


約束の時間はとうに過ぎていて、もう昼というよりは夜に近い。
の脳裏に、ネチネチと小言を漏らす元始天尊の姿が浮かぶ。


「うぅ、絶対地味に怒られる……!」


本当は今日はもう一歩も外に出たくないところだが、元始天尊の呼び出しとあらば話は別。
どんな用事だったかは忘れてしまったが、とにかく行くだけ行かなければと、床に置いたままだった煽鉾華を手に取った。

そんな中、大急ぎで開けた洞府の扉の向こうには、夕焼け空を遮る黒い巨体。


「おーい、ー! 迎えに来たぞーっ!!」
「……え?」
「元始天尊様の所に行くんだろ?」


逆光で良く見えないが、に手を振るその人は、間違えようも無く師匠の道徳。
どうして知っているんだろう、と思いつつも、煽鉾華で飛ぶより速いという事もあり、は助走をつけて黄巾力士に飛び乗った。


「よっ、と!」
「よしっ、乗ったな? 飛ばすから気を付けろよっ!!」
「へ? ちょっ、コー……うわぁぁあああぁ!!」


妙に静まり返った崑崙山脈に、の悲鳴は大きくこだました。








「ほら、お疲れ。悪かったな」
「こーちぃ……んな、そこ……まで、急がなくても……」


かつて無いハイスピード飛行によってヘロヘロになったに、苦笑気味の道徳が手を差し出す。
到着地点である、玉虚宮の直下、外に向かって大きく口を開けた発着室には、十三台の黄巾力士が整然と並んでいる。
最近では珍しいそんな光景を横目に見つつ、二人は元始天尊の元へと向かう。


「ねぇコーチ、今日ってみんな来てるの?」
「あぁ、みんな、主役をお待ちかねだぞ?」
「え、わたし?」
「……、お前、今日が何の日だか覚えてないのか?」


にっこり笑ってを指差す道徳。
意味が分からずぽかんとするに、道徳は再び苦笑して。


「行けば分かるよ」


道徳の指先は、から玉虚宮へと続く扉へ。
先へと促されたは、言われるがままに、重い扉へと手を伸ばした。

見た目に反して軽々と開く扉。
大きなその扉が開ききったその時、明るいクラッカー音が響き渡る。


「「「! 誕生日おめでとう!!」」」

「へ?」


広い広い玉虚宮を埋め尽くすほどに、崑崙中の仙道たちが集まっていた。
一番奥に悠々と座する元始天尊は、フォッフォッと普段通りに笑っている。

みんながニコニコと笑顔を浮かべ、自分を見ていることに気付いたは、漸く分かった、と目を見開いた。


「えっと、これって、もしかして……」
「そーさ! サプライズパーティーってやつさね! お陰で濡れる羽目になっちまったみたいだけど」
「え?」
「……ま、なにはともあれ、おめでとーさ、!」
「わ、ありがと天化!」


いつの間にか隣に来ていた天化にぽんぽんと肩を叩かれ、小さな包みを渡され。


「いやぁ、悪かったね! 足止めとはいえ、疲れてる時にいろいろ付き合わせちゃって。あの荷物も相当に重かっただろう?」
「足止め?」
「こっちの準備が間に合わなかったみたいでさ……。はい、これ、プレゼントの『携帯用収納宝貝』だよ!」
「わぁ、ありがと太乙!」


ばつが悪そうに微笑する太乙からは、色とりどりの巾着袋を受け取り。


「今日は、悪かったな」
「ナタク!」
「やる」
「え、いいの? ありがとう!」


こんな時でも無愛想なナタクには、蜜柑の山を差し出され。


「実はねぇ、さっきの薬、甘いやつも出来てたんだよ。まぁ、苦いやつの方が効果としては高かったみたいだけどねぇ」
「雲ちゃん!」
「あぁ、これは桃味だから安心するといいよ」
「あはは……ありがと」


普段よりもいくらか優しげなニヤニヤ笑いを浮かべる雲中子からは、桃色の瓶詰めを貰い。


「何度目だろうな、お前がここで誕生日を迎えるのも」
、誕生日なのになんだか災難だったみたいだね」
「でも、これも、みんながをビックリさせたかったからなんだ。悪く思わないでね」
姉、おめでとー!」

「うわぁ、ありがとう、みんな!」


玉鼎、楊ゼン、普賢、木タクなど、親しい人達が次々にを祝福し、それぞれ贈り物を渡していく。
どんどん両手にいっぱいになっていくプレゼントの山を見て、後ろで様子を見守っていた道徳が紙袋片手に近付いてきた。


「ははっ、うちの娘は大人気だなっ! ほら、落としてしまう前にこっちに入れなさい」
「あ、ありがとコーチ!」


がプレゼントを袋に移すのを手伝いつつ、道徳は先程の玉鼎の言葉を思い出す。


『何度目だろうな、お前がここで誕生日を迎えるのも』


……何年前か、十何年前か、もっともっと前のような気もするが。
仙人界に来たばかりのが、自分の弟子になったばかりのが、今、たくさんの人達に囲まれて幸せそうに笑う彼女と被って見えた。


「ホントだよな……大きくなったモンだ」

「ん、コーチ、今何か言った?」


零れた言葉の端を拾ったのか、は不思議そうな顔をして道徳を見上げる。
道徳は「なんでもないよ」との頭を優しく撫でると、少し屈んで彼女と視線の高さを合わせ、用意しておいたプレゼントを取り出した。


「……誕生日おめでとう、
「うんっ、ありがとコーチ!!」


祝福の言葉に満面の笑みを浮かべるの胸元には、先程までは無かった、青い宝石が輝いていた。




<end>


あとがき